ママの事、忘れないよ

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今は亡き母へ

ママの大好きなコスモスが今年も庭に咲き始めましたよ。

ママがこの世を旅立つ数日前に可憐なコスモスが一輪咲き、見せる事ができてよかったなあとおもっていますよ。

 

私の母は東日本大震災が発生した年の六月十九日に七十五歳でこの世を旅立ちました。

両親は小規模ながらお好み焼き店と喫茶店を営み、私と妹を育ててくれましたが、厳しく育てられたので、私はへそを曲げた事が多かったなあと思い出します。

 

ママは、四十代半ばから次々に病気を発症しました。平成八年には交通事故にあい、右半身麻痺がのこり、車いす生活になりました。この影響で過酷な日々が始まりました。

ママは私達に負担をかけまいと一生懸命にリハビリに取りくんでいましたね。 

入退院を繰り返し二ヵ所の施設のデイサービスを利用させて頂きましたが、好奇心旺盛なママは、何事にも前向きで興味をもち、充実した日々を過ごしていましたね。いつも楽しんでいましたね。

永い介護生活の中で、私は自暴自棄や現実逃避になり、ママや家族に対して冷たく接してしまい、穴があったら入りたい心境です。

ママ、ごめんなさい。皆、ごめんなさい。

車いす生活が十五年を過ぎた頃、悔しい事にママは癌を発症します。辛い抗癌剤治療や輸血と衰弱していく姿に「何でこんなに苦しめるのか」と涙が止まりませんでした。

痛みをまぎらわすために「川の流れのように」「千の風になって」「翼を下さい」「黄色いサクランボ」を澄んだ声で唄っていたママの姿は、今でも脳裏にやきついているよ。

ある時、「皆とずっと一緒にいたい、皆がそばにいてくれればそれだけでいい」と泣いていたママの姿には、胸がはりさける想いでした。

ママは家族と過ごす時間が大好きだったよね。

春には冠稲荷神社のボケの花を見に行き、夏には地元の花火大会をお好み焼きパーティーをしながら楽しみ、秋には那珂川苑に旅行をして、冬には足利フラワーパークのイルミネーションを見に行きましたね。他にも数えきれない場所に行きましたね。

今思えば楽しい事も沢山あったなあと懐かしく思います。

ママが皆とずっと一緒にいたかった想いは私も同じだよ。

沢山の想い出をありがとう。

永い闘病生活を支えてくれたパパをはじめ、主人、妹夫婦、施設の皆様、縁あって知り合った皆様に改めて感謝します。きっと天国のママも同じ想いでいます。

波乱万丈の人生を送った今井テル子という最愛のママの事を私は忘れないよ。

ママ、今までありがとう。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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