2018年7月13日、悪性リンパ腫のため逝去された演出家、浅利慶太さんのお別れの会が9月18日、東京・千代田区の帝国ホテル東京「孔雀の間」で開かれました。
浅利慶太さんは劇団四季の創立メンバーで、慶応義塾大学在学中の旗揚げ以来、2014年に劇団四季の代表を退くまで長年にわたって劇団四季の代表と演出家を務め、数多くのミュージカル作品を世に送り出しました。
1983年初演の『キャッツ』など日本初のロングラン公演や、『ライオンキング』など海外のミュージカルの上演、オリジナルミュージカルなど、日本のミュージカル文化を一新させました。
目次
約1万8,000本の花で飾られた浅利慶太さんを偲ぶ祭壇
帝国ホテル本館2階、孔雀の間に飾られた祭壇には、約1万8,000本の花が飾られています。
花の種類は、白い花はアジサイ、カーネーション、カスミソウなど18種類の花が約1万5,000本。このほか、トルコキキョウ、ベロニカ、アスター、アルストロメリア、デルフィニウムなど6種類の紫色の花、約1,000本と、ヒマワリやヒメヒマワリなど黄色い花が約300本が使われています。
祭壇のデザインは浅利慶太さん初演出の作品をイメージ
お別れの会の祭壇は浅利慶太さんの生涯初の演出作品『我が心高原に』をイメージしたもの。この作品は1950年、浅利慶太さんが慶應義塾高等学校の学生だったころ、早稲田大学高等学院との演劇発表会で上演された、ウィリアム・サローヤン原作のものです。
起伏のある草原を白い花で表現。また、祭壇向かって左、高いところには劇団四季のマークでもある琴(ハープ)が飾られています。ここから浅利慶太さんがたどった「演劇と劇団の時の流れ」でもある緩やかな起伏にそって、紫色の花が遺影に流れているといいます。
遺影の周りは濃い黄色い花で、浅利慶太さんが光に包まれているような様子を表しています。
浅利慶太さんの言葉を綴った映像の上映
浅利慶太さんのお別れの会では、まず浅利慶太さんの数々の言葉を集めた映像が上映され、浅利さんの生涯をたどりました。
進行を務めたのは、アナウンサーの進藤晶子さん。テレビ番組の取材などで浅利慶太さんのインタビューを行っていた進藤さんは、「芝居が面白いかどうかは、8割が作品の力。その作品のメッセージが、明晰な正しい言葉でお客様に伝わったとき、感動を生むのです」という言葉が心に深く刻まれているといいます。
浅利慶太さんが最後に演出を手掛けたのは、戦争を経験したものとしてあの戦争を語り継ぐ責任があると長年上演し続けてきたミュージカルの『李香蘭』。また、最後のプロデュース劇『アンドロマック』は、亡くなる2ヵ月前にオーディションやキャスティングを、さらに入院先でも台本の手直しなどを行っていました。
献歌「愛した日々に悔いはない」の合唱でお別れ
映像に続いて、参会者と劇団四季の俳優たちによる、献歌「愛した日々に悔いはない」の合唱がありました。着席のまま歌っていた参会者も一人、また一人と立ち上がり、会場全体が大きな歌声で溢れました。
なお、この歌の歌詞は世代によって「すべてを捧げ」派と「すべてを捨て」派の2通りがあるそうですが、献歌では「すべてを捧げ」という歌詞で歌われました。
浅利玲子さんの挨拶の言葉
遺族代表として挨拶に立った浅利玲子さんは、「主人は人間が好きでした。仲間が好きでした。役者の新しい才能を見出し、その成長する姿を見ながら、いつも目を細めて喜んでいました。そのまなざしは二十歳で劇団を創立したその当時から少しも変わらない、純粋な演劇青年の瞳、そのものだったように思います。これからも主人が大切にしてきた演劇への思いを受け継ぎ、活動を続けて参りたい」と述べました。
メモリー(『キャッツ』より)の生演奏にのせて献花
親族のご挨拶の後は、献花が行われました。
はじめに浅利玲子さん、劇団四季代表取締役社長の吉田智誉樹さん、劇団四季の創設メンバーでもある照明家の吉井澄雄さん3名の指名献花。そして参会者の献花が続きます。

浅利慶太さんのお別れの会 指名献花の模様(撮影:荒井 健)
献花の間には劇団四季のミュージカルから、「アルゼンチンよ泣かないで」(『エビータ』より)、『李香蘭』メドレー、「墓場にて」(『オペラ座の怪人』より)、「メモリー」(『キャッツ』より)など、数々の名曲が生演奏で奏でられていました。
浅利慶太さんお別れの会 式次第
開会
自由劇場の銅鑼~献奏「ヨハネ伝」 オーケストラ演奏
映像
映像による故人の紹介。映像で綴る浅利慶太さんの言葉の数々
献歌
「愛した日々に悔いはない」(ミュージカル『コーラスライン』より)合唱
親族ご挨拶
浅利玲子(あさり りょうこ)さんの挨拶
献花
生演奏による音楽の中、参列者の献花
浅利慶太さんのお別れの会に出席した方々

市村正親さん

加賀まりこさん

石丸幹二さん

伊藤みどりさん
(取材・執筆/小林憲行)