鳩山邦夫さんのお別れの会。東京・港区の青山葬儀所で開催

2016年6月21日に逝去した自民党衆議院議員、元総務相の鳩山邦夫さんのお別れの会が7月12日、自由民主党と鳩山家の合同主催で、東京都港区の青山葬儀所で行われました。

喪主は妻の鳩山エミリーさん。葬儀委員長は内閣総理大臣 自由民主党総裁の安倍晋三氏が務めました。

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約3,000人が会場に集ったお別れの会

当日は故人とのお別れに与野党の国会議員や故人とのゆかりのある方々、約3,000人の人たちが会場を訪れました。

前日、7月11日に福岡県久留米市のホテルマリターレ創世で開かれたお別れの会では約2,000人が参会しており、あわせると2日間で約5,000人の方が参会しています。

まっ白な生花祭壇

11日に福岡で開かれたお別れの会では、故人が大好きだった蝶をデザインした祭壇が飾られましたが、12日に東京で開かれたお別れの会の生花祭壇はシンプルに、まっ白な花で飾られていました。

お別れの言葉

お別れの会は開会後、黙祷に続き、実行委員長である安倍首相がお別れの言葉を捧げました。

安倍晋三首相のお別れの言葉

旭日大綬章 元総務大臣 故鳩山邦夫先生のお別れの会に臨み、衷心より哀悼の辞を捧げます。

先生、あまりにもあまりにも突然ではありませんか。

安倍政権の重大な政策課題である地方創生の実現に向け、党の地方創生実行統合本部長としてご活躍され、まさにこれから先生のお力が必要だったこの時、先生の訃報に接し、文字通り驚きを禁じ得ませんでした。

立派な体躯と大きな声。周りの人びとを笑顔にする先生の語り口。豪放磊落という言葉はまさに先生のお人柄そのものであります。

また先生は細やかなお心遣いと、すべての人を包み込む父親のような優しさを持つ愛情あふれる方でいらっしゃいました。

そのお人柄に多くの人が魅了さえれ、私もその一人であったことは言うまでもありません。

先生の在りし日の面影を偲ぶ時、万感胸に溢れ、深い悲しみに言うべき言葉も見つかりません。

今はただ、ご冥福をお祈りするばかりであります。

昭和23年9月13日、鳩山威一郎先生のご子息としてお生まれになった先生は、東京大学法学部を非常に優秀な成績でご卒業後、田中角栄元総理大臣の秘書、鳩山威一郎先生の秘書のご経験を経て、昭和51年の第34回衆議院議員総選挙に立候補され、見事初当選を果たされました。

以来当選回数は13回、37年余の長きにわたり多くの国民から愛される政治家としてご活躍されました。

私が初当選を果たした平成5年の当時は、先生は当選6回を数え、すでに文部大臣をご経験された、まさに仰ぎ見る存在でした。

明晰な頭脳と親しみやすい語り口は、党派を超えて多くの政治家が先生の事を慕い、国民を魅了しました。

先生は絢爛華麗な魅力を讃えた、稀代の政治家でいらっしゃました。

多岐にわたるご功績は、枚挙にいとまがございませんが、あえてその一端をご紹介すれば、政府では文部大臣、労働大臣、法務大臣、総務大臣、衆議院では文教委員長、議員運営委員長を歴任され、党にあっては選挙制度調査会長、司法制度調査会長をご経験され、地方創生実行統合本部長としてご活躍いただいておりました。

「今、環境革命が起きなければ数百年後人類はごみと熱に埋もれて滅びるしかない」との信念で、自然との共生を政治理念とした先生は環境問題に粉骨砕身取り組まれ、政治家として数々の実績を遺されました。

そうした中、多くの人を育てたという先生の圧倒的なご功績もまた、忘れることができません。

先生の薫陶を受けた秘書の方の多くが、政治家を志し、当選回数を重ね、今国政の場で活躍しております。

人を育てるということは本当に難しいものであります。

先生はご自宅で、ともに朝食をとる秘書のために、ご自身で料理を作り、時には父親のような厳しさで、ある時は母親のような深い愛情で指導されました。

先生の知識を吸収し、先生の志を胸に、国政の場で活躍する人材を育てられたことは、我が国の将来に明るい希望のひかりをもたらすに違いありません。

人を育てる愛情に満ちた先生のもとには、お人柄に惚れ込んだ多くの政治家が集い、「きさらぎの会」という政策グループが形成されました。

政策においてのご提言はもちろん、国家国民のために働く政治家とはなんたるかを後進の政治家に伝えてくださいました。

平成24年の総裁選挙の際、テレビを見ていた妻から「鳩山先生があなたを応援しているわよ」との言葉を聞き、まだ私に対して支持表明をしている方がほとんどいない中、突然であり、とても驚き、そして心強く思ったのであります。

私はその後、お目にかかった際、「ご支持は大変ありがたいのですが、鳩山先生は現在自民党に所属しておられませんね」と申し上げたら、「私にはたくさんの仲間がいるから、仲間と一緒に応援するよ」この言葉と共に、今日まで私を支え続けていただけました。

参議院選挙の帰趨を最後まで心配しておられたと伺いました。

先生のお気持ちに応えなければならないとの想いで戦い抜いてまいりました。

「為政者は日本の歴史と伝統を踏まえ、しっかりとした文明論を持ち、50年後、100年後の日本のあるべき姿を示さなければならない」。

これも先生の言葉であります。

今後100年の日本のあるべき姿を作るため、我々の政策を力強く、前に進めるこの時に、心の支えであった先生を失ってしまったことが残念でなりません。

我々は先生のご意志を受け継ぎ、先生が育てられた多くの人材と手を携え、50年後、100年後のわが国の反映と国民の笑顔を守り抜くことをお誓い申し上げます。

これからは先生と苦楽を共にされ、先生をそのすべての政治生活を通じ、支えてこられた最愛の奥様とご家族の皆様をいつまでも見守ってください。

先生は蝶の愛好家であり、有数の収集家としても知られておりました。

中国の古典、『荘子』の「胡蝶の夢」は自分が蝶になった夢を見たのか、蝶である自分が人間となった夢を見てるのか、夢と現実との間を往来する無為自然の境地が語られております。

鳩山邦夫先生。先生は政治家としてまさに無為自然の境地でいらっしゃったんだと思います。

私たちは同じ時代で先生とともに国家国民のために働くことができたことを誇りに思います。

純粋でそして愛情にあふれるお人柄でこの世を蝶のように華麗に舞い、我々が夢から覚めてしまったように、先生は黄泉の国へ旅立たれました。

先生の笑顔を我々は決して忘れることはありません。ここに改めて鳩山邦夫先生のご功績とお人柄を偲び、心からのご冥福をお祈り申し上げます。

お別れの言葉といたします。

平成28年7月12日 内閣総理大臣 自由民主党総裁 安倍晋三

遺族代表の挨拶

喪主、鳩山エミリーさんは参列者への挨拶に立ち、「主人の最後の言葉が『苦労をかけたね。ありがとう』と言われました。私は『大好きだったから大丈夫』と、それしか言えませんでした」と、鳩山さんの最後の言葉を紹介。そして、「本当にまっすぐに生きた人ですが、鳩山邦夫を忘れないでください」と結びました。

鳩山エミリーさんの挨拶

本日はどうも皆さま本当にお忙しい中、またこのお暑い中に、主人、鳩山邦夫のお別れ会にこのように大勢様ご参列くださいまして、ご出席くださいまして、本当にありがとうございます。

また、安倍総理、そして大島議長様ならびに政治家の先生方、本当にあの大きな選挙が終わったばかりでお疲れのところを、このように大勢ご出席くださいましたこと、本当に感謝申し上げます。

ありがとうございます。

貴重なお時間をいただいておりますのに、私がこうして挨拶させていただきますことを、遺族代表ということでお許しをいただきたいと思います。

主人は本当に、丈夫な人でした。

年に一度風邪をひくかひかないかということで、十二指腸に潰瘍ができてることは気が付きませんでした。

私から見ても全然太っているようには見えなかったんですが、「ダイエットする」と言って歩いたり、食事制限をしたりして痩せておりましたので、そのダイエットの成果なのかと思っておりましたら、血を吐きまして、救急車で病院に運ばれました。

検査の結果、十二指腸に潰瘍があるということで、お医者さまは輸血をして、お薬を飲めば治るからということで。主人は「政治家にすごく多い病気なんだよね」と言っておりましたが、翌日また出血いたしました。

6月21日に帰らぬ人となりました。

私事ですが幼い頃から知っておりました主人と18で結婚いたしまして、43年間主人の後をついてまいりました。

本当に心のきれいな人で、いつまでも少年のような、純粋な心を持った人でした。

結婚したころは田中角栄総理の秘書をやらせていただきまして、28歳で初当選をして以来、ずっと政治の道、一筋にまいりました。

本当に不器用な人で、まっすぐな人で、間違っていることを間違っていると言える人でした。

自分が損をしても、間違っていることを間違っていると言える人でした。

私は主人の後を付いて来て、主人のとってきた行動は間違ってなかったと信じております。

まだまだ主人はおそらくやりたかったことがいっぱいあったと思います。

「安倍総理をこれからも一生懸命支えていくんだ」と言っておりましたが、病気に勝つことはできませんでした。

43年間、辛いこともあったと思うんですけれど、私は今、楽しかったことしか思い出せません。

主人の最後の言葉が「苦労をかけたね。ありがとう」と言われました。

私は「大好きだったから大丈夫」と、それしか言えませんでした。

本当に突然だったので信じられないというか、信じたくない気持ちですが、真実をうけとめて、遺された私ども一生懸命頑張ってまいります。

どうか先生方も身体に気を付けて頑張っていただきたいと思います。

今日は本当に暑い中、また遠くからもお越しいただいていると思います。本当にありがとうございました。

どうか、本当にまっすぐに生きた人ですが、鳩山邦夫を忘れないでください。

お願いいたします。

今日はありがとうございました。

白いカーネーションを献花してお別れ

鳩山邦夫さんのお別れの会は、政治家をはじめゆかりの方が数多く参会し、祭壇にまっ白な花なカーネーションを捧げて、早すぎる故人との別れを惜しみました。

近年、一般の方のお葬式の規模は縮小傾向にありますが、「お別れ会」、または「お別れの会」というように、従来のお葬式と比べてより自由なかたちで故人を偲ぶ、そんなお別れの方法も、少しずつ認知度が高まって、実際に開催する方も増えているようです。

(小林憲行)

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