葉隠れ武士道こそ声優の道。大平透さん引退式

ハクション大魔王や喪黒福造、ダース・ベーダ―など個性的なキャラを、一度聴いたら忘れられないあの独特な声で演じた大平透さんが、2016年4月12日に亡くなりました。

大平亮さん、藤子不二雄さん、笹川ひろしさん、向山宏志さん、市之瀬洋一さん、宮越啓之さん、池水通洋さん、一城みゆ希さん、南沢道義さんら日本を代表する声優や漫画家、音楽プロデューサーらが発起人となって、2016年6月20日、東京・千代田区のパレスホテル東京で「大平透を偲ぶ会~引退式~」が開催され、大勢の方々が訪れ、別れを惜しみました。

 

Adsense(SYASOH_PJ-195)

遺影は「ドーン!!」

IMG_0039

日本で初めてアニメの吹き替えをしたり、『ハクション大魔王』や『笑ゥせぇるすまん』など数々の役を演じた大平さん。

生花祭壇に飾られた遺影も、代表作である喪黒福造の決め台詞のように「ドーン!!」と人差し指を出しています。

大平さんご自身、声優について、「私は『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』という葉隠れ武士道こそ、声優の道と心得、新しいキャラクターに創造力をぶっつけ、いわゆるクリエイティブに徹した。だから、声のサンプル、オーディションCD等は一度も持たなかった。いくらヒットしても、新しいキャラクターに昔の演技を当てはめるのは、声優の恥! いつも新しいものには新しい演技で挑戦して今日に至っている」と記しています。

アニメや特撮作品、海外映画の吹き替えなど日本を代表する声優は、パイオニアとして若手俳優の育成にも力を注ぎました。

 

お別れの言葉

IMG_0068

藤子不二雄さん

私が大平透さんを知ったのは、スーパーマンの声ですね。

ちょうど二十歳ぐらいでしたかね?アメリカンコミックスの代表であるスーパーマン。1955年に日本でテレビ放映されました。

その声を大平透さんがやられました。おそらく日本で初めてのアテレコというか、そういう番組だったと思うんですね。

確か生でやられたそうなんですね。これが日本でテレビ史上初めての日本語吹き替えの作品です。

僕は初めてそれをトキワ荘で、当時テレビはあまり一般のところには普及していなくて、トキワ荘で初めてテレビを買ったんですね。僕と藤本君、藤子・F・不二雄。

確かね、それも大きなテレビではなくて、6インチという本当に小さいテレビを確か20万円だったと思うんですが、これを買って、この年の紅白歌合戦はアパートでうちしかなかったので全員が四畳半に集まって紅白歌合戦を見た記憶があります。

ちょっと話がまた横道に……。

そのスーパーマンを聞いたときに、僕は本当に、なんと言うか、まさしくこれがスーパーマンの声だと非常に感激しました。

コミックスのスーパーマンが、大平さんが声を付けられたことで非常にこの、肉体を持って大活躍をしてたわけですね。

それから34年後ですか? TBSで『ギミア・ぶれいく』という番組を大橋巨泉氏を中心に作って、僕にアニメをやってくれと言われたので。

僕は『忍者ハットリ君』とか『怪物君』とか、子どものアニメをやっていたので、大人ものは夜の8時から10時まででしたから。

ひとつ考えたのは『笑ゥせぇるすまん』しかないなと思ってそれを10分のテレビにしたんですね。

その声を誰にするかという時に、いろんなオーディションをやろうということになったんですね。

それを大平さんはなぜか、名前を隠して応募されたんですね。

それで声を聴いた時に全員が大平さんを押して、後で大平さんと会って本当に皆びっくりしたんですね。

もうそのころ大平さんは大変な巨匠でしたから。オーディションなんか受けられるはずがないと思ってたんで。それで大平さんの声が喪黒福造の声になったんですね。

「ココロのスキマお埋めします。ドーン!!」っていうあの決め台詞を、大平さんがおっしゃった時に、本当に僕はこれぞまさしく喪黒福造の声だと思って。本当に、震えるくらい感激しました。

それからうん十年間、大平さんは『笑ゥせぇるすまん』をやられて、それで僕にある時「喪黒福造は私のライフワークだよ」とおっしゃって、僕も本当に嬉しく思いました。

もともと喪黒福造は大橋巨泉氏をモデルにして描いたキャラなんですけど、だんだん巨泉氏よりも大平透さんの方が、だんだんそっくりになってきて、さっき会場に遺影が飾ってあったんですけど、大平さんが「ドーン!!」と指を出しているあれを見て、これはまさしく喪黒福造そっくりだと非常にビックリしました。

大平さんは昔から堂々とした体をされて、それから重厚な声があって、それからゆったりとした物腰。それはもう、まさに日本の声優界のドンを象徴する方だと思ったんですね。

僕はわりとなんと言うか、大平さんにお会いした時に非常に怖いというイメージを持ったものですから、あまり近寄らないようにしようと思って、大平さんも僕もゴルフは大好きで、ただ大平さんの方は僕なんか比べ物にならないくらいお上手な方で、ただ非常にマナーとかうるさい方で、さっきジュニアがおっしゃいましたけど、一緒に回った人をいろいろ忠告されると、僕は聞いていたんで、あんまり大平さんとゴルフをやっても面白くないかと、あまりご一緒したことないし。

お酒も、僕お酒大好きで、お酒ぐんぐん飲んでたんですけど、大平さんはお酒を飲んだ場面を見たことがないんで、後でジュニアに聞いてみようと思うんですが、おそらくお酒のお付き合いも一切なかったと思うんですね。

ただ仕事だけで、音入れの時に行くと、大平さんは非常に仕事に対してすごいシビアな方ですから、同じ台詞を何回も何回も撮り直しして、僕が聞くとそんなに撮り直ししてもあんまり変わらないのじゃないかなと思ったんですけど、大平さんの中ではやっぱりその台詞の決めというのが判然とあって、本当にびっくりするくらい何回もおやりになってて、僕はもう途中で、ちょっと、飽きたんで失礼して飲みに行ったこともしばしばあります。

こんなことを言ってもしょうがないですけど。

プライベートのことが本当になかったんでね。

ほとんど仕事だけの付き合いで。

だから体調を壊されたっていうのは去年にちょっと聞いたんですけど、あの大平さんが体を壊すはずがないと思ってすぐまたお元気になられるだろうと思ってたところへ今度、訃報が届いたんで、本当に驚きました。

大平さんは86歳で、僕はその4つ下の82歳なんですね。

だから僕もまもなく、大平さんのところへ行くと思うんですが、その時は大平さんとあまり堅い話はしないでね、なんか気楽な話、バカッ話でお話ししようと思っております。

だからさっき、知ってる人で集まって大平透さんの偲ぶ会というのがありましたから、今から予約して来年の今頃、この会を開きますってぜひまた皆さんでそうやっていただければありがたいと思います。

本当に大平さんはね、亡くなられて非常に残念ですけれど、なぜか心からね、亡くなったという気がしませんので、バカな話をしましたけれども、本当に、ご冥福をお祈りいたします。

 

ホテルでのお別れ会

ホテルでのお別れ会は、1999年ころから本格的に取り組まれるようになりました。

当初はホテルのイメージ、ウェディングや宿泊客への配慮などから、遺体を取り扱わない法宴というかたちで始まりましたが、最近では「お別れ会」「お別れの会」というように葬儀と同等の意味を積極的な展開をしているところも増えています。

社葬のような大規模なものだけでなく、一般的な葬儀のような「お別れ会」「お別れの会」を開きたいといった希望にも対応しています。

しかし、遺骨の持ち込みなど、それぞれのホテルでできること、できないことがありますので、事前の確認が必要です。

 

大平さんのプロフィール

1929年9月24日、東京生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。父の仕事の関係で、生後8ヶ月の時にインドネシアのジャワ島に移住し、5歳で帰国する。
1952年、ラジオルーテルアワーの専属アナウンサーとしてデビユー。1954年にフリーとなり、ニッポン放送の開局1時には番組の制作プロデューサーとしても活動していた。
その後、TBS劇団に入り、フラーイシャースタジオ制作の『まんが・スーパーマン』(’55)で日本のテレビ史上初となるアニメの日本語吹き替えを行う。当時はまだ録音ではなく生放送の吹き替えで、1人5役を演じた。この作品が大ヒットし、TVドラマ版『スーパーマツ』(’56)では主役の吹き替えを担当する事になる。劇団が解散しフリーになり、1903年に大平プロダクションを設立。所属声優を30名も抱える芸能事務所として現在も活動している。
実写とアニメの合成であった特撮『マグマ大使』(’66)では、声だけでなく、着ぐるみの中に入り演技もしていた。最初は演技に素人な助監督がゴアの着ぐるみに入っていたが、まったくボディアクションをしないことから、声をあてようとしてもうまく合わなかった。そこで監督に頼み、自らゴアの着ぐるみに入り、声をあてていたという。
1967年には『おらぁグズラだど』にて、初めてタツノコプロのアニメで声優を務める。『ハクション大魔王』(’69)では主人公の魔王役を演じ、そのとぼけたキャラクターのしゃべり方がはまり役となった。以後、『未来警察ウラシマン』(’ 83)まで、フジテレビの日曜18:00-18:30の時間帯に放送きれたタツノコプロのテレビアニメに連続出演した。
1982年には、関西で初めての声優学校『大平透声優ゼミナール』を大阪に開校。更に1991年には自宅の一部を開放し、アットホームな環境で授業を行う東京校も開校し、自らの豊富な知識を生かして、どこまでも生徒をフォローする体制で後進の育成に努めている。
大人向けテレビ番組『ギミア・ぶれいく」(’89)内の10分間のアニメコーナー『笑ゥせぇるすまん』では、得体の知れない怪しい主人公、喪黒福造を好演する。
また、吹き替えでは『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーを担当。以降も、『ザ・シンプソンズ』(’92)の主役ホーマーをはじめとして、様々なアニメやテレビのナレーション、映画の吹き替え、イベントなどで活躍する。
コミカルからシリアスまで幅広いアニメキャラクターを演じ分け、視聴者を楽しませることを何よりも大切に考える。また番組をよりよくするために常に真摯な姿勢で臨み、仕事に厳しいことでも知られ、まさにテレビが始まった時代から活躍し続けるエンターテイナーである。

東京国際アニメフェア2013東京アニメアワード記念誌より

(取材:福田充  文:小林憲行)

葬儀・お葬式を地域から探す