佐々木忠次さんお別れの会。日本一大きなバレエスタジオで手づくりのお別れ

2016年4月30日、心不全のために死去した、オペラ バレエ プロデューサー、公益財団法人日本舞台芸術振興会(NBS)/東京バレエ団代表、佐々木忠次さんのお別れの会が6月12日、東京・目黒区の東京バレエ団スタジオで開かれました。

世界を舞台に数々の功績を遺した佐々木さんに最後のお別れをするため、国内はもとより世界各国からたくさんのアーティストたちが駆けつけました。

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会場全体が一つの劇場に、手づくりのお別れの会

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会場となった東京バレエ団スタジオは、日本で最も大きなバレエスタジオ。東京文化会館などで行うバレエ公演のリハーサルが完全に再現できる大きさです。

そのスタジオを、日頃一緒に舞台を作ってきた美術装置や照明、制作など東京バレエ団と日本舞台芸術振興会のスタッフたちがお別れの会の会場に作り替えました。照明を吊ったり、祭壇を飾ったり、参列者の椅子を並べたり。皆で作った手づくりの舞台です。

祭壇中央の遺影は、額縁に納められた肖像画のようです。その横には遺影にも映っている椅子が、想い出の品として飾られています。

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背景には、ヨーロッパの版画をもとに、大きな劇場の観客席が描かれ、また左右の壁には黒い緞帳と、ろうそくをかたどった照明が灯されています。

準備には大変なこともあったと思いますが、「来てくださった方に喜んでいただきいたい」という故人の想いが、大切に受け継がれているようです。

 

白いカーネーションを献花

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(photo:Kiyonori Hasegawa)

 

会場を訪れた参列者は、祭壇に白いカーネーションを献花し、佐々木さんとの別れを悼みました。

 

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島村宜伸日本舞台芸術振興会理事長の挨拶に続き、故人の軌跡が映像で紹介されます。

 

黒柳徹子さんのお別れの言葉(全文)。「あなたは本当にいい人でした」

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元内閣総理大臣小泉純一郎氏、評論家の三浦雅士氏、女優の黒柳徹子氏、そしてダンサーのシルヴィ・ギエム氏が、日本の芸術の発展に努めただけでなく、観客をも育てた佐々木さんの業績を讃え、その人柄を懐かしんでお別れの言葉を捧げました。

 

黒柳徹子さんのお別れの言葉(全文)

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(photo:Kiyonori Hasegawa)

この写真(遺影)は面白い写真で、どこから見ても佐々木さんがこっちを見ているように、視線が合うようになっているんだっていうことを発見しました。

さっきあっち(来賓席)で見ているときも見てくださっていたんですけど、今ここ(マイクの前)に来た時もこっちを見てくださっているようです。

面白い写真だなと思います。

 

佐々木さん。若いときからのお友だちでしたから、ずいぶん、オペラやバレエの話はしましたね。

そして後年、私たちが見たこともないスカラ座のオペラやロシ アの優れたバレエ、パリのオペラ座のバレエなどたくさん見せてくださいました。

でも日本の政府はなかなかあなたの功績を認めてくださらない。
外国の勲章は 見せていただきましたが、美しい色と、色とりどりのたぶんそれぞれ意義があるのでしょうが、あなたの命がけのお仕事にふさわしい勲章が山のようにありましたね。

 

あなたのおかげで外国まで行かなくても見られる、一流の芸術家の方々にお会いすることもできました。
あなたはそれを鼻にかけるのでもなく、ただ「いいものを私たち日本人に見せたい」。そういう純粋なお気持ちでいらしたことはよくわかります。

美しいものが好きだった佐々木さん。私たちはあなたの情熱を忘れ ません。
疲れ切って倒れるまで働き続けたことも忘れません。

ありがとう。

たくさんのいい生徒さんが東京バレエ団から育っていくことを祈っています。

 

あなたは本当にいい人でした。

お得意のカレーを朝から作ってくださったり、スカラ座のコーラスの人たちが「お弁当のチケットの人たちがお弁当のチケットを失くした」と言って電話をかけてきたり、「さっき『おはよう』と言ったのに佐々木さんが『おはよう』と言ってくれなかったね」という文句まで、いちいち電話で答えていらっしゃい ました、笑いながら。

心からお礼を申し上げますということを言おうと思うと、悲しいお別れになったことを残念に思っています。

先に行った芸術家が、皆、手を 広げてあなたを天国の入り口で待っていてくださる。

たくさんの話をしてゆっくりお休みください。

佐々木さん、いつもお友だちでいてくださってありがとう。

感謝を込めて。

黒柳徹子

 

シルヴィ・ギエムさんのお別れの言葉(全文)

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(photo:Kiyonori Hasegawa)

ここにお越しの皆様は、佐々木さんの気の短さのことをご存知だと思います。

お話しされる場合も、不必要なことは一切発しないほど、非常に単刀直入な方でした。

皆様が同意なさるかどうかわかりませんが、それは佐々木さんが大きなビジョンと夢を持ち、少しの時間の無駄も許さない情熱的な方だったからだと思いま す。

ダンスや音楽を無条件に愛されて、そして全く何もないところから東京バレエ団、日本舞台芸術振興会を創設されました。

日本における先駆者であった佐々木さんの勇気と信念がなければ、この2つの日本のアイデンティティは、今日存在していなかったかもしれません。

疲れ知らずで常に走り続けて常に仕事、プログ ラミング、招へい。そして大食漢でもありました。

すごく熱くなる、この情熱的な、精力的な佐々木さんが、多くの人々の生き方でさえも変えてしまったと思い ます。

彼が変えた生き方、それはアーティスト、観客、スタッフ、そして私の人生も変えてしまわれました。

私が15歳のころ、佐々木さんはパリ・オペラ座バレエ学校 を日本に招へいしました。

そして私に素晴らしい友人や観客のいる、魅力的な新しい世界へと、その扉を開いてくださいました。

こういった贈り物を36年前にく ださったんですが、今も信じられない、素晴らしい贈り物です。

ここで、昔あったことをひとつ皆さんにご紹介したいと思います。

ある日のこと、これはローザ ンヌだったんですけれども、先立たれて偉大な旅路についていなければきっとこの場にいらしていたはずの、モーリス・ベジャールさんと話をしていた時のこと です。

彼がある日、「もし私が死んだら」と言いかけたので、私は彼の言葉を止めて、「残念ながらモーリス、その選択肢はないですよ」と言ったんです。

そういって2人で大笑いしたことを覚えていますけれども、実際でもそうなんです。

ベジャールさんや佐々木さんのような方は決して死んでしまうことはないんです。

佐々木忠次さんが残されたものは、すでに歴史の一部として根付いているものですが、今も生き続けています。

今後も大きなエネルギーとファンや情熱を持っ て、そして少し気の短さをもって、愛され続けなければならないと思います。

夢をかなえられた佐々木さんですが、それはご自身だけでなく、多くの人々の人生を 美しく価値あるものにしてくださいました。

そして心の底から、私だけではなく今日ここに来ることのできなかった海外からのたくさんのアーティストを代表いたしまして、「さようなら、佐々木さん」。

ありがとうございました、佐々木さん。

 (通訳:小玉穂実)

 

佐々木さんを偲んで世界中から届く追悼メッセージ

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(photo:Kiyonori Hasegawa)

佐々木さんの訃報を受けて、デヴィッド・ビントリー氏(英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団芸術監督)、ポール・マーフィー氏(指揮者)、ケヴィン・オヘア氏(英国ロイヤル・バレエ団芸術監督)、シルヴィ・ギエム氏(ダンサー)、マニュエル・ルグリ氏(ウィーン国立バレエ団芸術監督、ダンサー)、タマシュ・ディーリッヒ氏(シュッツガルト・バレエ団副芸術監督)、ペーター・コザック氏(ウィーン国立歌劇場)、ツァー・シン・ワン氏(台湾・黒潮芸術)、ソン・イー氏(台湾・黒潮芸術)、そしてロイヤル・バレエ団関係者らをはじめ、世界各国から大勢のアーティストや関係者が集いました。

また、国内外からたくさんの追悼のメッセージも寄せられています。

それらのメッセージは1冊にまとめられ、参列者1人ひとりに手渡されました。100件以上のメッセージがありますが、それでも今なお届く佐々木さんを追悼する言葉すべてを納めることはできません。

 

「佐々木忠次記念基金」設立

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佐々木さんの遺志によって、遺された私財を元に「佐々木忠次記念基金」が設立されます。

ご自身が創立した東京バレエ団をはじめ、これからの日本の舞台芸術の発展のために役立てられます。

 

 

2016年10月13日、追悼公演 東京バレエ団「ザ・カブキ」追加公演〈メモリアル・ガラ〉決定!

 

10月13日には、佐々木さんの追悼公演「ザ・カブキ」に、〈メモリアル・ガラ〉が追加公演として決定しました。

公演の前には、「ザ・カブキ」初演時のメンバーによるトークショーもあります。佐々木さんとモーリス・ベジャールとの友情から誕 生した、「ザ・カブキ」の創作秘話が披露されます。 また、入場料は前述の「佐々木忠次記念基金」に寄付されるほか、「若い世代に観てもらいたい」という佐々木さんの想いを受け継いで、学生向けに500円で観劇できる「ササキ・シート」も用意されています。

 

「ザ・カブキ」メモリアル・ガラ 佐々木忠次(東京バレエ団創立者)追悼公演
振付:モーリス・ベジャール
音楽:黛 敏郎
■公演日時
2016年 10月13日(木)
6:30p.m.よりトークショー「『ザ・カブキ』と佐々木忠次」
7:00p.m.より「ザ・カブキ」(全幕)上演
■会場:新国立劇場 中劇場
■出演:由良之助:柄本弾 顔世御前:上野水香
    直  義:森川茉央 塩冶判官:岸本秀雄  髙 師直:木村和夫
    伴  内:岡崎隼也 勘  平:宮川新大 おかる:川島麻実子
    定九郎:飯田宗孝(東京バレエ団団長=特別出演)ほか

NBS公益財団法人日本舞台芸術振興会HPより

 

佐々木忠次さんの略歴

1933年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、オペラ、バレエ、演劇などさまざまな分野の舞台芸術において制作プロデュースをつとめる。
1964年に東京バレエ団を設立以来、国内はもとより、29次747回にわたる海外公演を実現し、東京バレエ団のレベルを欧米の著名なバレエ団と並ぶと ころまで引き上げることに成功した。東京バレエ団は海外では30カ国153都市で公演、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ロンドン のロイヤル・オペラハウス、ベルリン・ドイツ・オペラ、モスクワのボリショイ劇場、ペテルブルグのマリインスキー劇場など、ヨーロッパのほとんどの名門オ ペラハウスに日本のバレエ団としては初出演を飾っている。
東京バレエ団創立以来、プリセツカヤ、アロンソ、フォンティーンにはじまる世界の著名ダンサーを招聘し共演を重ねる一方で、ウラーノワ、セミョーノワな ど一流の芸術家を指導者として招き、ダンサーの技術と芸術的なレベル向上に努め、東京バレエ団、ひいては日本バレエ界の飛躍的レベル・アップに貢献した。
1980年代後半以降はベジャール、ノイマイヤー、キリアンといった20世紀を代表する振付家たちに作品を委嘱し、バレエ団のオリジナルのレパートリーと して加えた。

NBS公益財団法人日本舞台芸術振興会HPより 一部抜粋

(小林憲行)

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