ライフエンディング業界のトップインタビュー お葬式のすべてが、故人への感謝の言葉を生み出すためのツール

花王堂大曲葬儀社
代表 遠藤元也

秋田県大仙市にある合資会社花王堂大曲葬儀社。仏壇仏具店と葬祭ホール「やすらぎホール彩葉花」を運営し、商圏エリアでは約25%のシェアを誇る、地域でも屈指の老舗葬儀社だ。代表の遠藤元也氏は、青果物卸業、温浴業の経営を経て葬儀業界に入ったという異色の経歴の持ち主。2008年から同社に入社するが、葬儀業界にはまだまだできることがたくさんあるという。葬儀の本質は故人様に「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えることとし、葬祭ホールも祭壇もお葬式に付随するものはすべて、そのためのツールという同氏に話を聞いた。

2019年6月18日

取材・文/小林憲行

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「ありがとう」を伝えるには、まず故人様のことを思い出さなければならない

全く異なる業種から葬儀業に入って、どのように感じられましたか?

葬儀の仕事に関わるようになって、疑問に思ったことにはまず、「何のために葬儀をしているのか?」ということがあります。「葬儀をこなす」というと語弊があるかもしれませんが、滞りなく運営することだけに力点を置いた葬儀という印象がありました。それは自社の葬儀も、他社の葬儀を見ても同じでした。会葬者が「良いお葬式だった」というのは弔辞やお別れの言葉に心打たれた時が大半で、これはたまたま良いお別れの言葉があっただけのことで、葬儀社の力ではありません。

そしてもう一つ、「これは違う」と思ったのが、お葬式の最後が「涙で終わる」ということ。悲しいから涙するのは仕方ないのですが、生まれてくるときは皆が喜んで祝福してくれたのに、その人生の最後を涙で終わるということに違和感がありました。そんな疑問を抱いていた時に、東日本大震災が起こりました。

私も霊柩搬送の応援で岩手県沿岸部に入りましたが、安置所ではご遺族たちが「何でなの?」「どうしてなの?」と柩を前に、泣きながら亡くなった方に問い続けている光景がありました。ところがある柩の前、お子さまが亡くなられたのでしょうか。柩にずっと語り掛けている方がいらしたのです。おそらく親御さんだったと思うのですが、いろんなことを語り掛けているのが聞こえてきて、それがずっと思い出話をしているんですね。その語り掛けている言葉の間に「ありがとう」という言葉があって。それを聞いた時に、最後は「ありがとう」なんだと。葬儀社として、故人様に「ありがとう」を伝えるお葬式をしなくてはいけないと、強く思いました。

ところが、今度は一体どうすればそのようなお葬式ができるのかが分からない。ずっと悩んでいた時に、上村葬祭の上村会長と出会い、実際のご葬儀を見せていただいたのです。これは衝撃的でした。「これだ!」と。もちろん鹿児島と秋田ではお葬式にも違いはあります。それでもあの納棺をしている時の空間をどうにかして生み出せないかと日々、模索しています。

亡くなった方に「ありがとう」と言えるお葬式ですか?

お葬式とは何か?というと、亡くなった方に「ありがとう」という言葉を伝える場です。

そのためにはまず、故人様のことを思い出してもらわなければならない。年老いた時ではなく、子どものころに見た元気な父親の姿とか。本当に些細なことを何でも良いから思い出して、その思い出を家族と共有する。喧嘩をした思い出でもかまいません。「頑固な親父で。俺、若い時嫌いだったんだ」というのでも良いんです。そういう会話を家族でしてもらいたいのです。葬儀社の仕事は、そういう時間をつくって、そういう場を提供するということです。

返礼品や料理を選んでいただいたり、葬儀の案内を出す人のリスト用意していただいたり。確かにご遺族にしかできないことかもしれませんが、お葬式の本質ではないように思います。葬儀社が、ご遺族が故人様と過ごす時間も考えずに、仕事として葬儀をこなすだけではダメなのです。この観点からお葬式の時間を一つひとつ分解してみると、ご遺族がそうした作業をしなくても良い時間は、納棺の時間と出棺前の時間。実はこの2つしかありません。

人は亡くなると冷たくなって、硬くなるということを体感してもらいたい

具体的にはそれらの時間、どのようにしてお別れの場をつくるのでしょうか?

納棺には、ご遺族にも参加していただきます。最初に故人様の着せ替えをさせていただく前に、清浄綿でお一人ずつ、故人様の体を拭いていただきます。その時に「今までの感謝の言葉をお伝えください」というご案内をします。そして着替えが終わったら全員、柩を囲むように集まっていただいて、旅支度を整えます。手甲、脚絆からわらじ草履まで、ご遺族も一緒に故人様の身に着けてさしあげます。

ご遺族が旅支度を整えるのですか?

ご遺体に触れることで、人は亡くなると冷たくなって、硬くなるということを体感してもらいたいのです。人間は死ぬということを。特にお子さんたち、お孫さんたちに、そういうことを感じてもらいたい。死があって生があるわけです。ここに自分が存在するのは、このお祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいたからなんだということを、何となく感じ取っていただきたいのです。

何となくで良いんですか?

何となくが良いんです。小さなお子さんに、この時のことを記憶のどこかに留めてもらえれば良いと思っています。いつか大きくなって、ふとしたタイミングで思い出してもらえれば、それで良いのです。そして旅支度が整ったら、ご遺族も一緒に故人様を棺に納めます。故人様の重さを感じながら、棺の中に納めていただくのです。

お子さんにこのような体験がないと、例えば将来、自分の親、つまり今の喪主様が亡くなった時に、お葬式をしないということになってしまうかもしれません。お祖父さんの葬儀を直葬にしたという前例があったら、親の葬儀も直葬で済ませてしまうでしょう。過去にお葬式を行い「お祖父さんのお葬式の時は、こんな風だったね」という記憶がどこかに残っていたら、自分の親のお葬式の時もそうしようと思ってもらえるのではないでしょうか。

心に残す納棺を、お通夜の前に行っているのですね

そうです。ただ、この地域ではお通夜はありません。「お逮夜(たいや)」といって、親族だけで集まり、喪主様が料理を振る舞って、皆でお酒を飲みます。先ほどお話したように、棺に納めた時にお一人ずつ故人様との思い出を語っています。お互いにそれを聞いているから故人様のことをすぐに、次々と思い出せるわけです。

久しぶりに会った親族同士も、話のきっかけがつかみやすいですね

納棺の時の模様で、葬儀担当者もいろいろな情報を得ることができます。家族にとって故人様はどんな方だったのか。誰が、どういうお話をされていたかということを、担当者はその場で記憶します。

お葬式のためにわざわざご遺族に取材をするということはありません。面と向かって聞いたら相手も構えてしまうでしょうし、喪主様の知らない故人様の情報もあるはずです。子どもの前では絶対歌わないのに、カラオケで必ず歌っていた曲とか。そういう話が出て来るわけです。そこで初めて、自分の知らなかった親の一面に出会ったりもするわけですね。

また、担当者はこの納棺の時間で、故人様のエピソードだけでなく、例えばご遺族の中で、この人に話を振ったら話が盛り上がるといったことも分かります。そうしたことを踏まえて、翌日の葬儀に臨むことができるのです。

お葬式のすべてが、故人様の思い出を共有するためのツール

お葬式ではどのようなことをされているのでしょうか?

この地域ではお葬式の前に火葬をするのですが、その出棺の際に「お別れの儀」を行います。納棺で故人様のお体を拭いた時と同じように、一人ずつ故人様に言葉を掛けていただきます。そこにお体がある間は、家族にとって、故人様は生きているのと同じです。納棺や出棺の際にお一人ずつ故人様とお話していただくことで、ご遺族が故人様と一対一で向き合える時間をご用意させていただいているのです。

さらに、社員から故人様へのプレゼントをご用意して、ご遺族に柩に納めていただいています。それをすることによって、ご遺族の中で会話が生まれるのです。これも故人様と共有した時間を思い出してもらうための、ひとつのツールですね。このように考えたら、祭壇も何もかも、お葬式のすべてが、ご遺族が故人様の思い出を共有して、そこから「ありがとう」という感謝の言葉が生まれる、その目的のためのツールと言えます。

「ありがとう」という言葉で、出棺になるわけですね

そこで登場するのが霊柩車です。従来の霊柩車では、喪主様が助手席に座って柩は後部にありました。この時は故人様の思い出の場所の前を通っても、喪主様は遺影を少し窓の外に向けるだけでした。

ところが先日、新しく導入した霊柩車を柩の横にもご遺族が座れる造りにしたところ、皆さん故人様に自然と語り掛けているんです。野球好きだった方が亡くなった時には「今、球場の前通ったよ」とか、「ここで野球している姿、格好良かったね」とか。

霊柩車のあり方もただ単にご遺体を運ぶ車ではなく、これからは故人様との思い出を運ぶ車という位置付けが必要になります。故人様との思い出に彩を添える、やはりひとつのツールですね。

お葬式のすべてがツールというのは、分かりやすいですね

お客さんのニーズが変わったという方もいらっしゃるかもしれませんが、お葬式にお客さんのニーズなんてそもそもありません。極端な言い方かもしれませんが、お客さんが最終的に求めていることはただひとつ、お骨にしてもらいたいということだけです。でも、だからと言ってニーズだけを考えたら価格競争しか生まれません。だから祭壇とか会館とか目に見えるもので、ウォンツを提供しようとする。

ただ、目に見えないお葬式という商品をどう創るか?ということには、あまり目が向けられていないように感じています。納骨したいというニーズに、故人様に「ありがとう」という場をつくることで、価値が生まれる。その価値というのは心に残るということ。記憶に残るということです。お葬式を体験するという行為。その体験に対してお客さんはお金を払ってくださるのです。その体験という価値をどう高めていくか?ということなのではないでしょうか。

お葬式は本来、皆が集まって交流する場だったのではないでしょうか

最近のお葬式の変化についてはどのようにお考えですか?

お葬式に会葬者が集まらなくなったという話はよく聞きます。確かに超高齢化の進行や人口減など、さまざまな理由で会葬者数は減ってはいますが、正直なところ、当社の場合はお葬式の規模という点に関しては、10年前と比較しても極端な減少はありません。というのも、この辺では自宅に祭壇を飾る風習がまだ残っているからです。お葬式ではなく、ご自宅に弔問に訪れる方が多いわけですね。ですからお葬式にいらっしゃる参列者の人数に大きな変化はありません。ただ、新聞のお悔やみ欄に掲載する人は減りましたね。

もともとお葬式は家族というか、親族が中心に行われていました。ところが葬儀社が会館を造ってしまったために、商業的になり過ぎた。それが今、また一回りして時代が元に戻っているということではないかなと思います。葬式の規模が小さくなったと言っても、自宅葬が家族葬へと名前が変わっただけです。そもそも自宅でお葬式をしていた時代に100人200人もの会葬者が来ていたわけではありません。普通の家にそんなに大勢の人は入れませんから(笑)。

ヘーゲルの弁証法を研究している田坂広志先の著書『未来を予見する「5つの法則」』(光文社)いう本に、「古くて懐かしいものは新しい次元で復活する」といった一節があります。世の中の動きというのはあたかも螺旋階段を上って行くように繰り返しているけれど、一回りすればひとつ上にいくというものです。そのように考えると、古くて懐かしい自宅葬が、家族葬として復活したと言えるのでしょう。

「信仰心がなくなったから、お葬式をせずに直葬が増えた」とおっしゃる方もいます

確かにそういった意見もありますが、そもそも私たちにそれほど強い信仰心があったとは思えません。

例えば仏壇に手を合わせる風習がなくなったと言われますが、もともと仏壇のある家庭はそれほど多くはなかったでしょう。というのも、私たちの親の世代にはきょうだいも多いからです。仏壇はその家の跡取り、いわゆる長男が守っていますから、それ以外の弟や妹が独立してできた家庭には初めから仏壇はありません。また、今の時代は長男であっても、必ずしも家を継ぐというわけでもありません。

私の育った家にも仏壇はありませんでしたから、仏壇に手を合わせるというのは、子どものころの私にとってはお盆の時のイベントのようなものでした。父や母の実家に行って、ご先祖さまに手を合わせてお墓参りする。そこにはいとこも集まっていて夜は盆踊りに行ったり、花火をしたり。子どもにとって楽しいイベントでした。そんな単純なことなのです。

お葬式も同じです。親族が集まって交流を深める場。本来のお葬式の姿はそこにあったと思うのです。子どもの時のお盆のイベントが、そのまま大人のイベントになったような感覚です。では「人が亡くなって、親族が集まる場とは何か?」というと、やはり故人様のことを思い出す場なのです。その時にはおそらく、感謝の言葉もあったと思うのです。

インターネットの葬儀業者が増えれば、いずれ淘汰されていくでしょう

葬儀業界の変化と言えば、インターネットの葬儀仲介業者も増えています

当社もインターネットの葬儀仲介業者に登録していますが、あれは広告宣伝です。当社のことを知らない方にネット業者が当社に代わって宣伝してくれていると考えるとわかりやすいでしょう。新聞折り込みはこのエリアの人にしか届きませんが、インターネットからは地元に住んでいない人からの問い合わせが比率としては高いです。例えばもともとこの地域に住んでいた方が盛岡の病院で亡くなって、でも喪主様は埼玉で暮らしているとか。施設に入る方もいらっしゃいますし、最近は家族や親族が離れて暮らしているというケースは増えていますね。

インターネットの葬儀仲介というサービスは今後、どうなっていくとお考えですか?

これまで葬儀社は、大きすぎる祭壇やエンバーミングなど本来のお葬式には不要なものを足したり、無理に売り上げを上げることを行ってきました。記憶に何も残らないお葬式ばかりをしていたため、お葬式が終わった後になって、ご遺族には「高かったな」という不満と、不信感が残る。マスコミもそういった報道をするわけですから、葬祭業は信頼できない業種のひとつになってしまいました。それに対してインターネットの葬儀業者が格安の直葬をうたったのですから、「これで良いんだ!」と広がってしまった感はあります。

ただお葬式を全国一律価格にしてしまうのは厳密に言えば無理があります。その無理なところを請け負った各葬儀社が何とか対応して、カバーしているという状況でしょう。そして、簡素化も行き着くところまで進んだら、あとは価格競争しかありません。

これから次々とそういったインターネットの葬儀業者が増えていけば、また淘汰されていくでしょう。というのも、窓口ばかり増えても実際に葬儀を請ける葬儀社の数は今後、廃業やM&Aで減っていくでしょうから。

ありがとうございました

遠藤元也

1964年生まれ。秋田県大曲市(現大仙市)出身。
合資会社花王堂大曲葬儀社 代表。
仙台市で中央卸売市場仲卸会社、スーパーマーケットに勤務。1992年から家業である青果物卸売業・温浴業などの経営を経て、2007年花王堂大曲葬儀社に入社。翌2008年に代表に就任し現在に至る。

「ライフエンディング業界のトップインタビュー」は超高齢社会に向けて先進的な取り組みをしている企業のリーダーにインタビューし、これからの我々が来るべき未来にどう対処し、策を練っていくかのヒントを探る企画です。普段は目にすることができないライフエンディングの最先端の場で、どのような取り組みが行われているのか?余すこと無くお届けします。

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