ライフエンディング業界のトップインタビュー 仏教の様式、その意味をつなぐことは、葬送文化を守り、育んでいくこと

未来の住職塾
僧侶・塾長 松本紹圭

在家出身、東大卒、MBAを取得したお坊さん、松本紹圭師。住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、7年間で600名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶を輩出してきた、塾長だ。一般的なお坊さん像からはかなりかけ離れているが、その冷静な目で、誰よりも真摯にお寺の将来を見つめている。そんな松本師に、お坊さんとお寺の存在意義、僧侶派遣サービスやこれからの葬式仏教について、話を聞いた。

2019年4月30日

取材・文/小林憲行 撮影/萩山拓也

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お坊さんの価値は、長期の関係性の中にある

今、お寺が抱えている問題にはどのようなものがあるのでしょう?

業界に関する問題、個々のお寺が抱えている問題など、見る立場によっても違うとは思いますが、大きな問題としては、お寺と人々との関係性がなくなっているということ。コミュニケーションの方法を変えなければ、お寺と人々との関係性が保てない状況になってきているということですね。

「お寺の役割とは何か?」というと、いろいろな答えがあり得ると思います。例えば、「仏教を伝え広める」。お坊さんに聞いたら多くの方がそう答えるのではないでしょうか。しかし、日本の仏教の場合は、「葬式仏教」という言葉があるように、かなり葬送儀礼に力を入れてきたわけです。葬送儀礼と仏教の関係を押さえることが、まず大切だと思います。

お葬式を仏教に寄せて言うなら、「近しい人との別れ」の機会ですね。お葬式が執り行われるということは、どなたか近しい人が亡くなったということです。

仏教では「四苦八苦」という言葉があります。ちょっとわかりにくいですが、最初の四苦に加えて、後の四苦を加えて、合計で八苦です。

最初の「四苦」は、我が身に起こる苦しみ、生老病死です。生老病死を縮めて「生死」とも言います。生き、死にの「生死」です。必ず生まれ、老いて、病んで、死んでいく私のこの人生。そのすべてが「苦」なわけです。苦に満ちているこの生死をいかに生きていくか。その道を説いてくれているのが仏道であるということです。

後の「四苦」の最初にくるのが「愛別離苦」。愛する人と別れなければならない苦しみ。その苦しみに対して、儀礼を通して亡き人を偲ぶ、弔う、お別れするというのがお葬式です。他者との別れである愛別離苦をきっかけとして、やがて必ず死んでいかねばならない自己の生死(しょうじ)の苦を見つめるという、人間の大きな苦しみに寄り添っていく、大切な儀式です。

そのような機会は、人生でそう頻繁に訪れるものではありません。であるならば、基本的にお寺の価値は、長期で人の人生に関わっていく中で見出していただくもの、感じていただくものだと思います。

一人の人の人生に寄り添っていく。

近しい人が亡くなる苦しみだけでなく、その中には生もあれば、老も、病も、死も、人生にはいろいろなタイミングがありますよね。「親を亡くしました」もあるかもしれないし、「自分が病気になりました」もあるかもしれません。そういう人生の変化にどう向き合っていくか?その時にずっとパートナーとして寄り添い続ける存在。それがお坊さんだと思います。

生まれてから、死んだ後までずっと寄り添ってくれる存在ということですね?

理想的にはそうだと思います。

例えば、昔は和尚さんに子どもの名前を付けてもらったり。そんなところから関係は始まっていくわけです。生まれた時の名前も付ければ、亡くなった時の戒名を名付ける。そんなお付き合いです。

このように考えると、「お葬式」というピンポイントが大切なのではなく、ずっと継続するお寺との関係性の中の、一つの場面が「お葬式」ということになります。檀家制度がいいか悪いかは別として、そのような長期のつながりで、何世代にもわたるお付き合いがあるわけです。

その中でさまざまなコミュニケーションの場があった。だから「亡くなったおじいちゃんはこんな人で、昔、こんなことがあったんですよ」みたいな、家族や親せきも知らないようなこともお話できるような関係性が築けました。その関係性の価値が非常に高かったわけです。

ひとり一人の人生に寄り添う中で、その方に「生まれてきて良かったな」と感じていただける。その「生まれてきて良かった」という人生において、「このお寺に出会えて良かったな」って言ってもらえるような価値の出し方です。その最後の締めくくりとして、お葬式があるわけです。

「お経ってそういう意味があったんだ」とか、「戒名ってそういうことだったんだ」とか、「引導ってこういうことだったんだ」とか。いろいろ知るようになって、その上で「やっぱり仏教のお葬式がいいな」ということであれば、全然変わると思うのです。極端な話、お寺と長いことお付き合いがある方が亡くなったら、葬儀ではあえてお金でのお布施をしないということだって、考えられます。そういうことがありうるような関係性を築いていくというか。そうでないと、仏教らしい価値は出てこないのではないかと思うのです。

 

お葬式の場で、お寺からの方から積極的にコミュニケーションをとっていく必要がある?

その場でというより、その方が亡くなるずっと前から、関係性を作っていくことが大事ですね。

その檀家さんが亡くなって、次の世代の方にとってはお坊さんに会うのが、お葬式で初めてだったりするわけです。「菩提寺っていうのがあるらしいんですけど、おたくですか?」みたいな話です。そのような関係では、結局、その場だけしか見てもらえません。

とはいえ、たとえ故人がどんなに生前、熱心にお寺参りをされていて、「この菩提寺が自慢なんだ」というくらい関係性ができていたとしても、参列者の中には「お坊さんに会うのは初めて」という方もいらっしゃるでしょう。だからこそ、お葬式を工夫して、分かりやすくする。それが、お葬式の現場で求められる大事なコミュニケーションですよね。

既に縁ある方たちとのより深い関係性を作っていくのと同時に、初めてご縁をいただく方のことも大切にしたいです。

葬儀だけではありません。お寺は人々とさまざまなタイミングで関わります。儀礼について理解してもらうこともそうでしょうし、さらに言えば、儀礼だけが仏教では当然ありません。生・老・病・死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。四苦八苦、皆さん人生いろいろあるわけです。

パターンを決めて、皆に画一的にやればいいというわけではないと思います。やたらと親しくするということでもない。求める距離感も一人一人違うので、そのへんを見定めながら「この人は今、このぐらいの距離感を望んでいそうだな」ということを把握した上で、コミュニケーションをとっていく。

人生いろいろある中で、「今はもうちょっと突っ込んでお付き合いした方がいいのかな」という時もあれば、「今は大丈夫だな」という時もあるかもしれないし。ひとり一人も違うし、その人の人生のタイミングによっても変わるということですね。

 

お坊さんは、お葬式をどのくらい自由にできるものなのですか?

自由にできますよ。それぞれの本山で基本的な方針や作法は定められているでしょうが、「その通りにしなければいけない」ということではなく、一人一人の住職が自分なりに工夫する余地は大いにあります。

僧侶派遣はお寺本来のビジネスモデルとは合わない

僧侶派遣サービスについてはどのようにお考えですか?

「お坊さんを派遣します」というサービスは山ほどあります。宗派組織で取り組みを検討しているところもあるようですね。ただ、先ほども申しましたが、お寺の価値は、長い人生のお付き合いにおいて感じていただけるものだと思うんです。

お付き合いである限り、「スタート」がある。つまり、今までお寺と縁のなかった人に対して、スタート地点として長い関係性が始まるきっかけを作ることができると思います。

もし、「どこかのお寺さんにお世話になりたい」と思って自分で近所のお寺に行くと、話が合わないお坊さんだったりすることもある。この時、スクリーニングというか、「ここなら安心」というある程度の基準を満たしたお寺を紹介してくれるということであれば、いいと思います。

 

お寺を選別するという役割ですね?

ただ、僧侶派遣といっても、僧侶をいつでも派遣しているわけではなくて、そのほとんどが葬儀か法事です。

葬儀や法事では、必ず誰か亡くなった方がいます。ということは、お葬式だけでなく、お骨やお墓のことも関わってくる。お骨は物理的な納まりどころを必要とするものなので、その亡くなった方のお骨はどこで眠っていただくのか?ということと紐付いてくるわけです。葬儀や法事に関しての僧侶派遣ということであれば、その先には本来、お寺というようにつながっていく必要があるはずです。

僧侶派遣をスタートとして、長期にわたる新しい関係性が築ければいいのですが、葬儀や法事のワンショットだけで、それ以上の関係性は派遣元が認めないとなると、その瞬間だけのパフォーマンスになってしまい、本来のお寺のあり方とは合わないのではないかと思います。

 

確かに、お坊さんだけでは遺骨の受け入れ先にはなれません

結局は、お墓を求めてお寺をどこか探さなければならなくなります。でも、葬儀の後でお寺を探し始めるとなると、葬儀をお願いするところからスタートする関係よりも、関係は作りにくくなるのは確かでしょう。

むしろ僧侶派遣は、人生相談や坐禅指導と言った、そういう「人対人」「私とあなた」で完結するような事柄の方が、仕組みとして適しているのではないかと思います。もちろんそれにしても、継続的な関係性が大事ですから、その都度一回限りでペアを切り替えなければならないようなルールがあると、困りますが。

死者を媒介とする、亡き人を媒介とするような事柄であって、そこに物理的にお骨の納まり場所というようなことが関わってくる場合。お寺が長期で価値を出していくのが自然だという事柄においては、「僧侶派遣」ではなく、「寺派遣」というか、お寺単位で見ていく必要があると思います。

 

「僧侶派遣」ではなく「寺派遣」ですね

もうひとつ、言葉を選ばずに言えば、僧侶派遣には菩提寺変えの受け皿といった役割もあるのかもしれません。

檀家さんの中には、「菩提寺があまりにもひどいから他のお寺にしたい」という方もいらっしゃいます。しかし、仏教界では同じ宗派のお寺同士だと、それこそ檀家さんが「どうしても離れたい」と思うようなお寺であればなおさらのこと、「うちの檀家をあそこのお寺が取った」と言って揉めることになりやすいので、他所のお寺から移ってくる檀家さんを受け入れにくいという事情があります。

うちは〇〇宗だけれど、菩提寺があまりにもひどい。変えてほしいけれど、本山に電話したら「まずは菩提寺と相談して」となる。菩提寺じゃ話にならないから言っているのにもかかわらず、です。

仕方がないから僧侶派遣で「○○宗のお寺を紹介してください」となります。派遣サービスを通じて依頼があれば、「菩提寺のないフリーの方からのお願いである」という前提が成立しているということになりますので、受け入れやすいという状況もあるかもしれませんね。何か、おかしな話ではありますが。

日本人が日本的文化を大事にしようする限り、仏式の葬儀が消えてしまうことはない

この先、お葬式はどのようになっていくとお考えですか?

死者を弔うということがなくなるということはないと思います。人が人である限り、葬儀はあり続けるのではないでしょうか。葬儀は、人間を動物と分かつ根源的な営みの一つであると思います。

親鸞聖人も、自分が死んだら賀茂川に流して、魚の餌にしてくださいとおっしゃっていましたが、結果的には親鸞聖人を慕う大勢の人たちが、今でも立派なお墓を守っているわけです。人が人である限り、そこに慕う人がいれば、自分たちの弔いの気持ちを表したいものです。

ただし、今までと同じような様式をもって、これからも弔いをするかどうかというのはわかりません。

 

現在、日本の葬儀の仏式の葬儀が大半を占めていますが

何をもって仏式の葬儀ということもあるでしょうが、多様化は進行するでしょうから、今後は「お坊さんを呼ばなくてもいいんじゃないか?」というお葬式もそれなりに増えていくのは間違いないとは思います。

とはいえ、これもまた人が人である限りというか、日本の人に日本的文化を大事にしようという気持ちがある限りは、仏式の葬儀が完全になくなることはないでしょう。

日本は世界で一番老舗企業が多い国です。世界中の老舗の半分以上が日本にあるというくらい。つまり、伝統的な形を大事にする文化でもあるわけです。そういう国で、「仏式のお葬式が全部消えちゃいました」っていうことには、いきなりなることはないかなとは思います。シェアは減ったとしても。

 

最後に、お寺ではなく葬儀社に向けて、メッセージをお願いいたします

過去のご縁の巡り合わせによって、お寺に期待を持てず、あきらめてしまうような気持ちの葬儀社さんもいらっしゃるのかもしれません。でも、特に若手の中にはいろいろがんばっているお坊さんも少なくありません。

仏教の様式、その意味というものを次代につないでいくということは、長い目で見て葬送文化を守っていく、育んでいくことともつながっていると思います。葬送文化がやせ細ってしまうことのないよう、良きものは皆で守っていきたいですよね。

だから「今はもう、消費者に求められてないから必要ない」ということではなくて、今までつながってきた継続性をどうすれば維持することができるのかということを、一緒に考えていけるパートナーとして、若いお坊さんたちとぜひ協力することも考えてもらえると、嬉しいです。

 

それが「未来の住職塾」のこれからの活動にもつながりますね

最近は本堂を利用した「お寺葬」に積極的に取り組むお寺も増えてきています。葬儀にはやはり地域性もありますし、それぞれの地域とか、それぞれのお寺で、お付き合いのある葬儀社さんとかもみんな違います。だからこそ、未来の住職塾としても、それぞれのお寺が葬儀社さんたちと、より良いパートナーシップを作っていけるような。そういう学びの場、情報交換の場を創っていきたいと思っています。

 

ありがとうございました

松本紹圭

僧侶・未来の住職塾塾長
1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、7年間で600名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶の卒業生を輩出。『お坊さんが教える心が整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。お寺の朝掃除の会「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。

「ライフエンディング業界のトップインタビュー」は超高齢社会に向けて先進的な取り組みをしている企業のリーダーにインタビューし、これからの我々が来るべき未来にどう対処し、策を練っていくかのヒントを探る企画です。普段は目にすることができないライフエンディングの最先端の場で、どのような取り組みが行われているのか?余すこと無くお届けします。

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