日本画家、松尾敏男先生のお別れの会。日本美術院で

8月4日に逝去された、日本画家で文化勲章受賞者でもある、公益財団法人日本美術院前理事長 松尾敏男先生のお別れの会が、2016年9月17日、日本美術院(東京都台東区)で開かれました。祭壇中央には松尾先生の作品が飾られ、式中にはオペラユニット LEGEND(レジェンド)が、松尾先生が生前大好きだったという歌を献じました。

 

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祭壇中央には牡丹の屏風

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祭壇は白を基調に淡いピンクと青紫がきれいな生花祭壇です。中央には、松尾先生が紅白の牡丹を描いた屏風が飾られました。天皇皇后両陛下からも供花が届いていました。

また、その上に飾られた遺影は、生前、自宅で絵を描いている姿を撮影したものだそうです。

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「若手の出品者に対しても実に丁寧に接する人」。弔辞につづられたエピソード

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黙祷に続き、弔辞の奉読がありました。

田渕俊夫日本美術院理事長は、松尾先生について「若手の出品者に対しても実に丁寧に接する人でした」と言います。

出品者の名前と絵を驚くほどよく覚えていて、院展(日本美術院が主催する日本画の公募展)の会場では、「出品者に親身になってアドバイス」をしていました。田渕理事長自身もかつて、松尾先生からアドバイスをもらったそうで、「先生は院展の伝統と新しい感覚を併せ持った日本画家でした。残された私たちは先生の石を受け継ぎ、歴史のある恩典の発展に努めていく」と約束しました。

また、東京府立大六中学校(現:東京都立新宿高等学校)時代からの友人は、松尾先生は器械体操の名手だったと、当時の思い出を語りました。

那波多目功一日本美術院代表理事は、松尾先生と写生旅行に出かけたときの楽しいエピソードなどを披露して、会場は温かな笑いに包まれました。

 

「自分の眼で、見たとおりに描きなさいね」遺族代表の挨拶

長女の松尾由佳さん、次女の麻里さんが遺族を代表して御礼の挨拶をしました。

次女の麻里さんが松尾先生に「作品が仕上がったと感じるのはどういう時なの?」と尋ねた際に、「決まりはないし、ほとんど感覚的なものだけど、往々にして『もう少し描きたいな』というところで、筆を止めた方が仕上がりは良いことが多い」と答えてくれたそうです。一分でも一秒でも長く、一緒にいたいと思っていたけれど、「これが父の、人生の筆の置き方」と、受け入れる気持ちになったそうです。

時代の流れで、自分の写生が不十分でも、写真に撮り、そのデータを見返すことで絵が描けてしまう、また拡大コピー、縮小コピーといった手法で自分の手を使わなくても望む大きさの下図が作れてしまう風潮を、とても悲しんでいたそうです。絵が大好きな小学生くらいの個展の会場に小さな子どもを連れて訪れた方に、「絵が好きな孫に」とアドバイスを求められた際には、「自分の眼で、見たとおりに描きなさいね」と、その一言でした。

続いて、長女の由佳さんは、「今でも家にいると、父が、本当に、そばにいることを感じて、毎日を過ごしています」と挨拶しました。

心が強く、他人にはとても優しく接しているけれど、自分に対しては本当に厳しい人だったという松尾先生。「自分で何か人に伝えたい、残していきたい、自分の感じるものを絵に残したい」と最後の方は、起きてすぐ絵を描けるように、アトリエの中にベッドまで入れていたそうです。

また、「絵のすばらしさは、これから100年でも200年でも絵として残っていく。私からの皆様へのお願いとしては、これからも皆様が美術館に足を運んでいただいたり、いろいろなところで、もし父の絵を見る機会がありましたら、ぜひ、父のことをまた、思い出していただけたら」と述べました。

 

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続いて、松尾先生が、そのデビュー当時から応援していたというオペラユニットLEGEND(レジェンド)が、『落葉松』(作詞:野上彰、作曲:小林秀雄)を献歌しました。

 

お別れに訪れた人々の長い列

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最後のお別れを告げようと大勢の人が献花に訪れ、日本美術院の前には長い列ができていました。

 

取材をしていて、会場に飾られた祭壇に、大きな窓から入る日の光が当たって、透明感のある雰囲気を作り出していたのが、とても印象的でした。遺族のお話の中から浮かび上がる故人の人柄がそのまま表れているようでした。

(小林憲行)

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