【監督インタビュー】宮沢りえさん主演『湯を沸かすほどの熱い愛』。遺された人がどう生きるかで、故人の人生の意味が見えてくる

2016/10/29公開した映画、『湯を沸かすほどの熱い愛』。

銭湯を舞台に、“死にゆく母と、遺される家族が紡ぎだす愛”という普遍的なテーマを描いています。

主演の宮沢りえさんが演じる幸野双葉さんこと、普通の“お母ちゃん”は、その人間味溢れる優しさと強さで、会う人すべてを包みこんでくれます。実力派若手女優・杉咲花さんの、気弱で引きこもり寸前の娘・安澄さん、旅先で出会う悩める青年、松坂桃李さん、そしてオダギリジョーさん演じる頼りないけど憎めない“お父ちゃん”。彼女の生き様、そして死にゆく姿が、皆の心の中に、変化をもたらしてくれる。生きる力が湧いてくる、そんな映画です。

「最高の愛を込めて、葬(おく)ります。」という言葉通り、お葬式の場面や、そこに至るまでの道のりが、今のお葬式を見事に表しています。

今回は、中野量太監督にお話を伺いました。

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「家族ってこんなのかな?」っていうのを映画の中でぶつけています。

――宮沢りえさん演じる“お母ちゃん”とその家族。映画を観ていると、改めて「家族ってなんだろう?」と考えてしまいます。監督ご自身の考える家族って何なのでしょうか?

「こんな感じじゃないかな?」ってことを僕は映画にしているんですけど、はっきりした答えは出ないですね。家族の定義とかはありませんから。

ひとつわかっていることは、「血のつながりだけが家族ではない」ということ。

血はつながっていなくても、同じ屋根の下に暮らして、お互いがお互いのことを想いやって考えられるというのは、家族の証拠のひとつではあるでしょうし。反対に、育てもしないし、娘だって認めもしない、けれど血はつながっている。「じゃあそれは家族なの?」と言われれば、ある意味では家族なのでしょう。わからないんですよね。

僕自身、「家族ってなんだろう?」ってことを追い求めて、作品を作っている気がします。

言葉では説明できないんです。できないから映像にしているんです。

今回も、それをぶつけました。「家族ってこんなのかな?」っていうのを映画の中でぶつけています。

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もともとお葬式は銭湯に似ているって思っていたんです。

――映画の中で、銭湯でのお葬式の場面はとても印象的でした。銭湯には何か特別な思い入れがあったんですか?

別に銭湯に対してすごい想い入れがあったわけじゃないですよ。

昔から近所にありましたし、普通に行っていましたけど。ただ不思議な場所だなとは思っていました。

あんなふうに、他人同士が裸で湯船に入って、共に癒されるって、不思議な場所じゃないですか?こんなところ、銭湯ぐらいしかないなって思っていました。何か不思議なつながりのある空間だなって。

だから、僕が描こうとしている人のつながりとか、愛をテーマにした映画の舞台にはぴったりだなって思っていますし、もともとお葬式は銭湯に似ているって思っていたんです。

――お葬式と銭湯が似ていますか?

お葬式は会場に弔問客がいらして、お焼香して、遺族たちといろいろお話して帰って行く。

銭湯は、銭湯に来て、湯船に入って、お風呂上りに皆で牛乳飲みながらおしゃべりして行く。

どちらもとてもよく似てるし、面白いなって思っていました。

だから、銭湯でのお葬式のシーンは、いつもの銭湯と同じようにしたかったんです。

お焼香で浴室に入って、出てきたら風呂上がりの人たちが話をしているのと同じように、弔問客が脱衣所で話をしているという具合に。

銭湯の壁に描かれた富士山の前で祭壇を組んでお葬式をするというのも、面白いと思いました。

実はロケハンで、何軒も銭湯に行ったんです。

そこで「こういう映画にしたい」という話をしたときに、「うちのお父さんは銭湯でお葬式やったよ」というところがいくつもあったんです。

お風呂屋さんの方が亡くなると、銭湯でお葬式をしていたんです。

僕はそんなことは知らなくて、イメージで「銭湯でお葬式」というのを考えていたんですが、「うちもやったよ」っていう方が、いらっしゃるんですよね。

――すごい!本当に銭湯でお葬式ってできるんですね。

それが幸せってことなんじゃないでしょうか?

自分が生きてきた場所で、皆がお別れしてくれる。

そのお話を聞いた時に、これは絶対にいいシーンになるって確信しました。

お葬式は、生きている人が次へ進むための儀式。

――最近では、家族のつながりが希薄になったからとも言われていて、「お葬式をしない」という人もいます。監督の考えるお葬式はどんなものでしょうか?

お葬式というのは、生きている人と死んでいる人とをつなぐ行事というか、お別れの場所だと思っています。別に悲しむためだけの場所でもなくて、生きている人が、「これからは死んだ人の想いを受けて生きて行こう」と思える場所だったりもします。

だから、亡くなった人のためというよりは、生きている人のためにあるような気がするんです。

「魂」といった話になるとなかなか難しいのでしょうが。

亡くなった人はある意味、そこで死んでしまっています。

ですから、お葬式はおそらく、遺された人のためにあるものだろうと思います。

「さよなら」を言って、死んだ人と別れるという儀式を、生きた人がさせてもらっているというか。「お葬式をしたから、もうあきらめなくちゃいけないんだな」とか、「死んだ故人の遺志を継いで生きよう」とか。

それは、生きている人、遺された人が得られるものじゃないですか。

死んだ人はそれ以上、どうにもならないですから。

きっと、そういうものなんじゃないんでしょうか、お葬式って。生きている人が次へ進むための儀式。

――お葬式とは、あくまでも生きている側にとっての儀式ということですね。

だからこそ、生きている人が企画して、送り出すのだと思います。

僕はもう、5回くらい、お葬式をテーマに作品を撮っています。

好きなんです。

特に火葬場が好きなんです。

僕自身が、お葬式の経験がたくさんあるのですが、いつも不思議だなって思うことがあります。

亡くなっても、その人の体がある間は悲しいんですよね。目の前に遺体があって。ところが、火葬場で焼いてしまったら悲しくなくなるんです。

おそらく火葬することで、人からものになるからだと考えていますが。

死んでいても、人は絶対的に人です。でも、骨になってしまうと、それは物なんです。

おそらく、それであきらめがつくのでしょう。

だから、お葬式とか火葬とかは遺された人が次に進むための行事なんだろうと。

心の整理が付くというのもひとつだと思います。

だからこそ、「ちゃんと送ってあげられた」っていう、満足感かどうかは分からないけれど、心の整理がつけられる。

たぶん、お葬式にはそういう役割がある気がします。

ところで、火葬場での面白エピソードが1個ありますけど、聞きます?

――聞きたいです!

祖父が亡くなった時のことなんですけど、すごく背が高くて、180センチ以上あったんです。

ですから、「おじいちゃん大きいから大きな棺を用意してあげよう」と、おじいちゃんが楽に入れるようにって、普通より大きな棺桶を用意したんです。

ところがそれで火葬場に行ったら、炉に入らなかったんですよ。

――棺が大きすぎて?

それで結局、普通サイズの棺を取り寄せて、入れなおしたんですよ、火葬場で。

――ほかの棺に入れなおしたのですか?

ええ、遺族で移しました。それが何だかおかしくって。

生前から祖父はちょっと変わっていたというか、発明家だったのですが、皆「おじいちゃん、最後まで笑わせてくれるなあ」っていう感じでした。

最後はおじいちゃんが皆を笑わせてくれたし、全然悲しくない。その人らしい死と言えばいいんでしょうか。

でも、お葬式ってそういうものなんじゃないでしょうか?

生を描きたいから死を描く。

――宮沢りえさん演じる主人公が、病室で「死にたくない」って涙するシーンがありました。あれを観て、自分の死期を悟った時、人はどんな気持ちになるのかなと、胸が熱くなりました。

自分の死を悟るということは、残された限りある時間に生きることを凝縮するという訳です。余命は死に向かっていくのではなく、どう濃密に生きていくかってことだと僕は思うんです。

その状況で、主人公の双葉さんが選んだのが、誰かのために生きるということ。つまり家族のために生きるということに、その最後の2ヶ月を充てた。

だから、彼女はとてもいきいき生きられたんだと思っています、あの映画の中で。

それができたのは、命の期限を切られちゃったから。だからこそ、それを見事に生きて、散ったというわけです。

僕が描きたかったのは、宮沢りえさんが演じてくれたような、そういう生き方です。

どうして映画で死を撮るのかと言えば、生を描きたいからです。

生と死は対局にあるのではなくて、隣にあるものなんです。ほぼ一緒のもののように思っています。だから、生を描きたかったら死を描かなくてはいけないですし、宮沢りえさんも死を演じているけれど、あれは凝縮された生を描いているんです。

お葬式の意味もそうです。

遺された人がどう生きるかで、死んだ人というか、故人の人生の意味も、見えてくるんじゃないかなと思うんです。

そのような意味では、この映画は、遺された人がどう生きていくのか、生きる映画でもあると思っています。映画の中の家族は、双葉さんの死を経験して、しっかり生きていくだろと思うんです。双葉さんにあれだけのことをしてもらったのですから。

――確かに、この後この家族はがんばりますよね。

もちろん、いろいろな困難はあるとは思いますけど。ちゃんとやらなくちゃ恥ずかしいですよね、お母ちゃんに。

――探偵さんが、お子さんに「死んだら会えなくなる」と言うセリフがありました。あのシーンもすごく、心に残っています。

僕はあそこのセリフが実は大好きで、台本を書いているときから「このセリフをどういう風に言ってくれるんだろう」と思って楽しみにしていました。

駿河太郎さんが演じる探偵が、なぜあの場面で、あのセリフが言えたかと言ったら、双葉さんが死を身近で見せてくれたから。

死を目の前で見せてくれたからだと思います。

ああやってほかの人のために生きて、そして死んでいく姿を目の前で見せてくれたから。だから娘にちゃんと、母の死のことが言えた。もしもあれがなかったら、いつまででも嘘をついていた、ごまかし続けていたでしょう。

悲しませたくないから、嘘をつく。

ママにもう会えないなんて、小さな子には言えないですよ。

でも、双葉さんの死を経験して、あの探偵も「ここで本当のことを言っても、きっとこの子は前に進める」と思ったんじゃないでしょうか?

双葉さんの生き方を通して、それだけの自信が探偵についたのかもしれません。

そういう言葉を言えるようにしてくれたのが、故人の価値です。

そういうことです。遺された人がどう生きるかじゃないですか。故人の周りにいた人たちは、死を受け止めて、あの探偵ですら前に進めた。他人なのに。家族じゃないけれど。あの親子ですら前に進めたんだから、双葉さんの死にはしっかり意味があるし、そういう風に描きたかったんです。

死が苦しい時ほど、お葬式というものに価値があるのかもしれません。

――今後映画を撮っていくときには、また死をテーマにしていくのですか?

それはもう避けられないですね、僕の中で。

ただ、環境が変わるというか、例えばもしも僕が結婚して、子どもができたりしたら、テーマは変わらなくても作品は全く違うものになるでしょう。

子どもが親になって、自分が親になって、親を送って。こういうことは、順番であるべきなんだと思っています。

その順番が入れ替わっちゃったことほど悲しいことはないでしょう。

今でも覚えているのが、自分の父が他界したときに、祖父が皆の前で言った言葉です。

「親より先に死ぬってことは、親不孝なんだ」っていう言葉は今でも忘れられません。

順番は狂わしたらいけないんです。

順番が狂ったお葬式はやはり苦しいと思います。

でも、もしかしたらそういうときこそ、お葬式というものに価値があるのかもしれません。

順番が狂って苦しいけれど、ちゃんと送ってあげたっていうことが、自分の中で思えるから。お葬式にはたぶん、そういう役割もあるんだと思います。それも結局、生きている人のためですよね。

仏教的な考えとか、魂とか、もちろんあるとは思いますが、結局、お葬式は遺された人のためのものなのだと思います。

もし、自分が死んだ時にお葬式もなかったら、やはり嫌だなって思いました。

――今回、映画にお墓は出てこなかったのですが、お墓についてはどのようにお考えですか?

僕はちゃんとお墓参りしています。お盆とか、お正月とか。だからお墓も身近なんです。

ところでお墓面白エピソードっていうのがあるんですが……。

――お墓にも面白エピソードがあるんですか?ぜひ!

さっきお話ししたおじいちゃんが、とにかく面白い人でして、生前、「球の心」と言って、ずっと自分で文章を書いていたんです。

そんなおじいちゃんだったので、お墓をどうしようかという時に、まん丸のお墓を造ったんです。

――球のお墓ですか?

球です。

で、生前、スイカが好きで、スイカを半分に切って、中をほじってサイダーを入れて食べるみたいなおじいちゃんだったんです。

それで、そのまん丸のお墓に初めて納骨をして水をかけたら、流れる水がきれいにしましまになって、墓石が見事なスイカ模様になったんです。

これ本当の話ですよ、写真も残っています。

でも、それからあとはどうやって頑張っても、きれいなスイカにはならないんです。それ一回だけ。

その時もみんなで、「また、おじいちゃんったら」って笑ったんですけど。

――この映画を撮ったことで、お葬式や死に対する考え方に変化はありましたか?

やっぱりお葬式は必要だとは思いました。一つの行事として。

もし私が結婚をしたとしても、結婚式を開きたいとは一切思わないのですが、お葬式はしてもらいたいなって。もし、自分が死んだ時にお葬式もないのはやはり、嫌だなって思いました。誕生日もいらないけれど、お葬式はしてほしいなっていうのはありますね。

お別れ会みたいな感じですよね、送別会。

大体がお酒を飲んで、故人の想い出を語るという、そういうもんじゃないかなと思っています。

――ありがとうございました。

家族の物語であると同時に、生きることの意味をもう一度、考えさせてくれる、そんな映画です。

圧巻のラストはもちろん、銭湯でのお葬式のシーンもお勧め。登場人物たちの何気ない会話も残って、つい頭の中で繰り返してしまいます。

また、11月11日にご逝去されたりりィさんも出演されています。

(小林憲行)

『湯を沸かすほどの熱い愛』
2016年10月29日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー
©2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会


宮沢りえ、杉咲花、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼/松坂桃李/オダギリジョー
脚本・監督:中野量太
主題歌:きのこ帝国「愛のゆくえ」
配給:クロックワークス
©2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会

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