タレントや作詞家、作家と幅広い分野で活躍し、2016年7月7日に83歳で亡くなった永六輔さんを送る、ばらえてぃ「永六輔を送りまSHOW」が8月30日、東京・港区の赤坂BLITZで開かれました(主催:TBSラジオ、TBSプロネックス、オフィス六丁目)。
昼の部と夜の部、2回の公演には生前、永六輔さんと親交のあった多数のアーティストが出演。大勢のファンと共に、「楽しいことが大好きだった」という永六輔さんと、にぎやかにお別れしました。司会は『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でアシスタントを務めた、外山恵理さんとはぶ三太郎さんです。
「いい葬儀マガジン」では今回、夜の部を取材。皆さんと一緒に永六輔さんをお送りしてきました。
説明を受けないとわからない?津軽弁の弔辞
初めに、8月30日午前11時から東京・青山葬儀所で開かれた永六輔さんのお別れ会「六輔 永(なが)のお別れ会」の模様が映像で紹介されました。
舞台中央のモニターでは、「永さんは私の死んだ時の葬儀委員長をやるとおっしゃっていらしたのに、思惑が外れて申し訳ありませんでした」と、黒柳徹子さんがお別れの言葉を述べている様子が紹介されました。
次いで、舞台には伊奈かっぺいさんが登場し、弔辞を奉読しました。
「死ねば誰でも空の星になるのでしょうか。上を向いて歩こう、上を向いて歩こうとみんなに教えた後で、自分が上に行ってしまっては、皆が上を見て歩いています。『テレビよりもラジオ』と言い続けた人が、皆に見上げられています。見られています。たぶんそんなことを思って永さんは、まだ上に行っていないと思います」と、とても素敵なことをおっしゃっていたはずなのですが、ネィティブの津軽弁であったため、残念ながら温かな雰囲気と、途中に何回か出てきた「永六輔」という名前くらいしか聞き取れませんでした。標準語での解説を聞いてようやく理解できました。
そのほか、松元ヒロさんやラッキー池田さん、「削ろう会」の直井棟梁、デーモン小暮さん、東京ボーイズなど大勢のアーティストたちが会場を盛り上げます。
会場に集まったファンらは係りの誘導に従って、一人ひとり献花を行い、永六輔さんとお別れをしました。
「ヤホー」で永六輔さんを調べ、漫才に
永六輔さんの後任として現在、土曜ワイドラジオTOKYO の7代目パーソナリティーを務めるナイツのお2人が、永六輔さんについて「ヤホー」で調べた漫才を披露しました。
生前、永六輔さんはナイツの言い間違いの漫才が大好きだったそうです。
さだまさしさんが歌う、『遠くへ行きたい』
さだまさしさんは、直井棟梁が鉋や槍鉋で木を削る様子を実演した際に出た、薄い鉋屑を首に巻いて舞台に登場。永六輔さんが作詞し、中村八大さんが作曲した名曲『遠くへ行きたい』を弾き語りしました。
永六輔さんは、さだまさしさんと出会って以後、さださんが落語家を目指していると勘違いしていたというエピソードも紹介されました。
和太鼓とドラムと舞踏、夢の競演
和太鼓の林英哲さん、ドラムの猪俣猛さんと永太一郎さん、さらに舞踏家の田中泯さんが競演しました。力強い和太鼓と、ドラムのコントラストに、舞踏が加わり、不思議な空間を生み出しています。
ドラムを演奏していた永太一郎さんは永六輔さんの孫で、現在アメリカで修行中なのだそうです。
続く女性だけの木遣りグループ「大江戸小粋組」の公演の後は、いよいよフィナーレを迎えます。
参加者たちが舞台上に集まり、全員で永六輔さんの代表作、『上を向いて歩こう』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)を合唱。お別れ会をバラエティーにするという前代未聞のイベントは大盛況のうちに幕を閉じました。
近年、お葬式が大きく変わっているとはよく言われます。
また通常のお葬式と異なり、家族や近親者のみで一度お葬式を行った後、日をおいて、改めてお別れ会を開くというスタイルも少しずつではありますが、増えているように感じます。
今回開催された、ばらえてぃ「永六輔を送りまSHOW」も、そうしたお別れ会の一つです。
故人をよく知る人たちだからこそできる、素敵なお別れ会でした。楽しい笑いの中に、故人の遺志があったというか、永六輔さんからの温かいメッセージが込められていたように感じました。
(画像提供:TBSラジオ、文・構成:小林憲行)