【プロが語る】葬列用の葬具に学ぶ、正しい土葬の作法


現在、日本で亡くなった方のほとんどが、火葬されます。

厚生労働省の平成26年度衛生行政報告例、「埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数」を見ると、総数1,340,117の内、火葬は1,339,714とほぼ100%が火葬となっています。

とはいえ、今でも土葬が完全に亡くなったわけではありません。

今回は、2016年6月23日に開催された日本葬送文化学会主催の野外研修「栃木県鹿沼市における土葬用具の再現」に参加して、土葬時代のお葬式についてお話を伺いました。

 

土葬時代、葬儀社は葬儀をしなかった?

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土葬について説明してくださったのは、栃木県鹿沼市の葬儀社、株式会社おおのの代表取締役、大野益通さんです。

土葬時代のお葬式では、葬儀の後、葬列を組んでお墓に向かっていました。葬列そのものが、お通夜や葬儀・告別式と同じくらい、もしくはそれ以上に大切な意味を持っていたような感じです。

が、何より大前提として、この地域で土葬がまだ当たり前のように行われていた時代、葬儀社は今のような葬儀のサービスを提供するところではありませんでした。

葬儀を中心となって執り行うのは、喪家を中心に親族と、そして隣組(となりぐみ)と呼ばれる地域組織(町内会とかと同じような感じと考えると、イメージが付きやすいかもしれません)です。

では、葬儀社は何をしたかというと、葬儀に必要な備品を販売していました。

どなたかが亡くなると、隣組の人たちが「買物帳」を持って、葬儀社に来て、棺などを買っていました。

またお寺の住職に依頼をしたり、日取りやお布施のことなど寺院との打ち合わせも、この隣組がサポートしていたようです。

 

買物帳の中身

当時の買物帳によると、お葬式の時には隣組の人たちが、次のようなお店に行って、次のようなものを買っていました。

お店

買うもの

葬儀店 祭壇のリース(3段・5段・7段)/土葬の棺/はや道具など葬儀や葬列に用いる道具類など
豆腐店 豆腐とがんもどき/おしらえなど
洋服店 白装束・帷子(かたびら)/白い布/洋傘/座布団カバー/シーツなど
八百屋 天ぷら/きんぴらの材料など
米屋 おはぎ/供養団子の材料など
和菓子屋 葬式饅頭
魚屋 お刺身/煮魚の材料など
肉屋 コロッケ・メンチカツ・ハムカツなどお惣菜(トンカツは裕福な家庭のみ?)
大工 墓標の製作

完成品を買うだけではなく、材料を購入して、近所の方たちで料理を作ったり、布を買って白装束を縫ったりしたそうです。

 

土葬で必要なモノ

次に、いよいよ土葬に必要な葬具です。

 

寝棺(横棺)おさや

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一般的なが入るような大きさで作られています。

1メートル80センチくらいですが、場合によってはより大きなサイズのものを作ったりもするそうです。

周囲の4ヵ所には鳥居を模した飾りが付けられていますが、神式葬儀(神葬祭)だけでなく、仏式のお葬式でもこの飾りはあったそうです。

江戸時代までは、神仏習合(しんぶつしゅうごう)と言って、神道と仏教をそれほど明確に分けてはいませんでした。その名残なのかもしれません。

 

たて棺

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故人が座って入る棺です。

四隅の紐を持って、地面に掘った穴に下していきます。

たて棺を用いる場合と寝棺を用いる場合の違いは、墓地の地質にも関係したそうです。

例えば、比較的地面のやわらかい平地部では広く掘れるので横棺、墓地が狭かったり、地面の固いところではたて棺という具合です。

特に山間部では石なども多いのでたて棺が使われることが多かったようです。

 

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納棺の際には、故人の足を正座した状態で縛ったりしていたそうです。

また、納棺時には、故人の頭部が棺から出ている状態ですが、時間とともに自然と下がって、24時間くらい経つころには完全に棺の中に納まって、ふたを閉められるようになります。

なお、納棺も葬儀社が手伝うことはほとんどなく、親族や地域の人たちによって行われていたそうです。

たて棺おさや

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葬列の時に、たて棺を入れて墓地まで故人を運びました。

故人が永代にわたって住む“家”という意味があります。

ちなみに「おさや」というのは、中を保護する“覆い”という意味があるようです。刀の鞘(さや)と語源は同じかもしれません。

 

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屋根の部分と、胴体の部分と、台の部分(たて棺が乗っています)に分かれます。

 

骨おさや

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火葬後にお墓に向かう際に用いた葬具です。

たて棺おさやより、一回り小さいサイズです。

土葬から火葬に移行する時期に、特に宇都宮など、この地域でも都市部で使われていました。

ただし、この当時はまだ、お墓にカロート(遺骨を納めるスペース)はありませんでしたので、墓石の前に穴を掘って、納骨していました。

屋根には龍や鳳凰の飾りも付いています。

 

葬列に必要なモノ

お墓まで向かう主な葬列の順序です。

葬列の順番

人数

内容

花輪 3名 故人の位置(場所)がわかる
提灯(1対) 2名 故人のいる場所を照らす明かり
龍辰(1対) 2名 故人の魂が龍に乗って天に昇る
生花(1対) 4名 故人のいる場所を飾る
盛籠 2名 故人の先祖に捧げる
導師
施主花(金蓮花)(1対) 2名 極楽浄土を表す
香炉 1名 故人の成仏を願い、お線香をあげる
御膳 1名 故人の食事
写真 1名
位牌 施主
名旗(めいき) 1名 故人の名前を書く
天蓋(てんがい) 1名 魔除け
4名
日がくし 1名 日よけ
遺族・親族

 

花籠(はなかご)

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集まってくださった方に拾っていただけるように、50円、100円と、おひねりや甘いお菓子などを用意して、必ず集まってくれた人にあげていました。これらを花籠の中に入れて振るって落します。

葬列が出発する際に、鐘や銅鑼を鳴らすと、近所の方や子供たちが「お葬式があるぞ」と集まってきました。

 

高張提灯

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正面に〇〇家と入れて、薄墨と濃墨で家紋を入れ、葬列します。

お墓についたら、入り口に立てます。

昔は鹿沼にも家紋屋さんがいたのですが、最近はなくなってしまったので、依頼があれば岐阜の提灯屋さんにお願いして作ってもらっているそうです。

 

龍辰

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魂が天に昇るようにという意味があります。

龍の頭の部分を真鍮など金属で作って、隣組で持ち回りで使っていたところもありました。

地域などによっても名前が少しずつ違っていたようです。

 

施主花(金蓮花)

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蓮の花をかたどっています。極楽浄土を表していて、1対を身内の方が2名で持って行きました。

 

日がくしと天蓋

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日がくし(右側)は、日よけの意味があります。

昔はもっと大きかったのが、だんだんと小さくなりました。

天蓋(左側)は、お寺の天蓋を模していて、魔よけの意味があります。

葬列の時には身内の方が持っていますが、お墓についたときにお墓の真上に来るように地面に挿していました。

お墓の上につるすことで、お墓に邪気が入るのを防ぎます。

 

辻ろう

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6つあって、出棺する家からお墓まで、角々にろうそくを立てていました。道しるべのような役割があったのかもしれません。

 

昔と今のお葬式、一番違うのは?

いかがでしたか?

土葬に必要な葬具だけをみてもたくさんあります。

施主や写真を持つ方など以外に、少なくても15人くらい人手が必要になります。

さらに、料理の支度など準備も必要ですし、お墓に着いたら穴を掘る人も必要です。

つまり、お葬式は家族だけではできないものでした。

村八分という言葉がありますが、昔はどんなことがあっても、「火事の時とお葬式の時は地域の皆が助け合う」のが当然でした。

また、誰もが必ずいつかは、亡くなります。

もしもの時はお互い様。

隣近所で生活していればいろいろな問題も起こったかもしれませんが、それでも親せきや、地域の人たちと、きちんとコミュニケーションをとろうとする意識を持っていました。

 

なお、本文では混乱を避けるため“ひつぎ”はすべて“棺”と書き表しています。
「棺」と「柩」の使い分けについては、【棺と柩】新社会人のためのマナー講座 「ひつぎ」を漢字で書くときの注意点をご覧ください。

 

(小林憲行)

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