水木しげるサンお別れの会。料理も鬼太郎でした。

2015年11月30日に逝去された漫画家 水木しげる(本名:武良茂=むら・しげる)さんのお別れの会が、2016年1月31日、東京・港区の青山葬儀所で開催されました。

大勢の参会者が見込まれるため二部構成のお別れの会となりましたが、第一部だけでも約800名の参会者が、第二部では約7,000名が集まり、水木さんとの別れを惜しみました。

施行は、株式会社日比谷花壇が担当しています。

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京極夏彦さんデザインの祭壇

祭壇は、発起人でありまた司会も務めた京極夏彦さんがデザイン。水木さんの短編『丸い輪の世界』をイメージしています。

京極さんはこの祭壇について「真ん中の大きな白い輪は“この世ならぬ”場所。水木しげるの世界において此岸と彼岸は地続き。水木先生は今、鬼太郎や悪魔くん、河童の三平ら愛すべきキャラクターと共に輪の向こうにいらっしゃいます。しかし、輪は開いています。この輪の向こう側に、私たちの想いが伝わりますよう、この会を開かせていただきました」とおっしゃっています。

また、遺影は生誕88年を記念して出版された『屁のような人生』(2010年 角川書店)の口絵として撮影されたものです。

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『丸い輪の世界』をイメージした祭壇

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『丸い輪の世界』

祭壇手前は故郷鳥取県境港にある実家から見える島根半島の海と山、また左右には戦地ラバウルに咲く南国の花を配しています。

太平洋戦争時、ラバウルに出征した水木さんは、爆撃で左手を失い、部隊も全滅。地獄を味わいました。その後、現地の人たちとの交流が生まれ、帰国せずに現地に残ることを考えるほどでした。そこに「天国」を感じたそうです。

また、祭壇に向かって右手には「妖怪ポスト」も登場しました。

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妖怪ポストには、水木さんあてのお手紙も投函できます

水木しげるサンの略歴

発起人代表の荒俣宏さんが、水木さん本人が書いたという略歴を発表しました。

1922年、鳥取県境港市に生まれる。

同市の高等小学校を出て大阪に行き、いろいろな職業に就きながら、いろいろな学校に出たり入ったりする。

戦争で左手を失う。

著書には『ゲゲゲの鬼太郎』『日本妖怪大全』などがある。

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荒俣さんは、「いろいろな作品で、日本で絶滅しかけていた妖怪をよみがえらせたというのは、最大の功績。でもそんなことは一言も書いてない、水木さんにとっては大した問題ではなかった。唯一、大した問題だったのは戦争で左腕を失った。その一言だった」と言います。

流れる音楽は『ゲゲゲの鬼太郎』

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会場には、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のテーマやNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』主題歌が流れています。

初代鬼太郎の声を担当した声優の野沢雅子さんや、NHKドラマで主役を演じた松下奈緒さん、水木さん役を演じた向井理さんら大勢の関係者が訪れ、最後の別れを惜しみました。

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お料理も鬼太郎

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会場に並んだお料理は、『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターたち。ゴマを練り込んで焼いた特製パンの“塗り壁”“目玉おやじ”のお寿司、そしてデザートが並びました。

“目玉おやじ”や“一反木綿”のお寿司

“目玉おやじ”や“一反木綿”のお寿司

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“塗り壁”のサンドイッチや“目玉おやじ”のスイーツ

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煮物には“ねずみ男”が……

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ちなみに、会場のテーブルクロスは、鬼太郎のトレードマーク“ちゃんちゃんこ”の柄をイメージしたそうです。

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入浴中の目玉おやじ

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目玉

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鬼太郎はここに居ました!!

水木しげるさんのお別れの会には、大勢の方々が集まりました。

祭壇だけでなく、お食事など細部にわたっていろいろなキャラクターが登場したり、おもてなしの心にあふれた会でした。

なお、2016年11月30日の命日には、水木しげるさんが長年暮らしていた調布市が、名誉市民でもある水木さんの功績を讃えて「ゲゲゲ忌」も開催する予定です。

(文・構成 小林憲行)

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