ライフエンディング業界のトップインタビュー “故人を愛していた”と思える時間と場所をつくる。地域に選ばれる葬儀社の技とは?

株式会社KAMIMURA
会長 上村伸一

鹿児島県鹿屋市を中心に、15斎場を展開する株式会社KAMIMURA。遺族たちが故人に笑顔で「ありがとう」と感謝を伝えられる葬儀、故人を拍手で送り出せる葬儀をかたちにしている。創業時、「絶対につぶれない葬儀屋になるには、日本一の葬儀をする葬儀屋になるしかない」と決意したという上村伸一会長は、故人に合わせた100通りの葬儀ではなく、唯一の「一番いい葬儀」をどこまでも追及し続けている。社員が体で覚える葬儀の技と、情報共有の徹底。同社の納棺の儀と葬儀に参列し「生きのびる葬儀屋の戦い方」を間近に見た。

2019年3月19日

取材・文/小林憲行

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いい葬儀という究極の葬儀だけ。同じ技を、ひたすらやる

お葬式の業界についてどのようにお考えですか?

よく、「故人様の人生に合わせて、葬儀をする」という葬儀社がある。10人いれば10通り、100人いれば100通りの葬儀。ただ、よく考えてみると、それはどういうことなのだろうか? と疑問に思います。

お客様は本当にそれを望んでいるのだろうか?
お客様が100人いらしたとしたら、そのうちの90人くらいは、故人に対して「ありがとう」と言いたいのではないだろうか?

そのように考えると、故人に合わせて祭壇を造ったり、飾ったり、100通りのお葬式をするというのは、必ずしもいい葬儀をしたくてするのではないのではないか?
高い報酬を得るための企画であって、いい葬儀をするための企画ではないのではないか?と感じてしまうのです。

では、うちのお葬式はどうかというと、例え100件のお葬式を施行したからといって、違いはありません。全部、いい葬儀をする。いい葬儀という究極の葬儀だけ。同じ技を、ひたすらやっています。

「思考系」ではなく、「作業系」ということですね。

「作業系のお葬式」というと?

例えば、100通りのお葬式をするという場合、まず遺族に聞き取りをして、それから聞き取った情報をもとに企画をつくるわけです。でも、その担当者に相当の力というか、感性がないとできないですよね?

首都圏のように、葬儀までの時間が1週間あれば別かもしれないけれど。短時間で、お客様は、葬儀の担当者にそこまで打ち解けるという心境になるでしょうか?

その点、当社の場合は一つの技しか教えません。

うちの葬儀は統括と、女性担当、そして施行メンバーで葬儀を取り持っています。統括はチーム全体をまとめる。そして女性担当が付いて、施行メンバーには、司会者や照明、ピアニストなどがいます。これらのメンバーはお葬式だけを専門に執り行います。
夜の搬送は夜間搬送のスタッフがいるし、お葬式の後のアフターフォローはアフターサポートスタッフがいる。それぞれが自分の仕事を専門で行うという具合に、分業化をきちっと進めています。

その上で、全員を一定のレベルまで引き上げ、誰でもがプロになってもらう。すべての社員が何をするべきか、お互いに理解して、すべての社員が、お客様が感動するように、練習に練習を重ねてピタッとやる。

3ヵ月から6ヵ月で一流になれます。なぜか?といえば、同じ技しかしないから。
同じ技を極めることで、すぐに劇団四季にも負けない動きをするように、成長してくれるのです。

また、ひとりの担当者が駐車場のこと、警備員のこと、霊棺車のこと、全部考えていたら疲弊してしまう。専門職をつくることによって、課題を分けて乗り切るという考え方ですね。

「故人のことを愛していた」ということを思い出す時間と場所をつくることしかできない

お葬式を拝見して、照明と音響が印象的でした

喪主やご家族たちが立った時は、棺の上にだけ、真上から明かりが当たるようになります。
光の半径を絞っているから、棺はきれいに見えますね。けれど棺の周囲は暗いままです。すると必然的に人の動きはゆっくりとした動きになります。ピアノのスピードもゆっくりと、合わせていますね。

次に、親せきの方々が棺の周りに集まる時には、照明はもっと明るくなる。すると、人々の動きは早くなる。ピアノのスピードも速くなる。

さらに、一般の方々が棺の周りに集まるようになると、光の円はもっと大きくなるというように、明かりを変えていかなければなりません。

そして式の中では絶対に、お客様を急がせるようなことはしません。ピアノと照明の雰囲気で、参列者の動きを速めるからです。

よく、葬儀の場でスタッフが参列者に「どうぞ」と声を掛けて一生懸命誘導するのを見かけますが、そんな失礼なことはないと思っています。お客様にはお客様たちのいろいろな思いがあるのですから。それぞれの時間を持ちながら、挨拶をしたり話をしたりしているのですから。
だから、お客様の自然な流れに任せます。ただ、その自然な流れを、音響と照明で後押しして差し上げるというわけです。

自分で気持ちのいい時間と速さで動く。けれどもその時間と速さは光と音でコントロールしているということですね?

お客様をコントロールするというのではなく、「お客様はこういうことを求めているだろうな」ということを考えて、「だから、こういう照明にしました」としているだけです。

棺の周りに集まってほしい時には、光の半径を小さく。棺だけを照らす。棺の周囲にもう少し離れてもいいという場合には、光の半径を広げる。最初の2分間ほどは静かに黙っていて、お客様の心が落ち着いたと思ったらしかけ始める。安定するまではしかけない。

葬儀の場合は何十名と多くの方々を一斉にコントロールしなければなりません。そのためにも、ピアノの音、照明の明かり、すべて順番通りに決められています。そして、照明が全部ついて明るくなって、ピアノが大きくなって、棺のふたが閉まった瞬間に、葬儀は終わります。

見学していても、明るいお葬式でした。遺族の笑顔もありました

笑顔がなければ、いいお葬式とは言えないでしょう?

映画でも、泣いた後に必ず笑うシーンがあるように、人間の心は、感情のふり幅があった時にすがすがしくなる。ものすごく気分がよくなるのです。たくさん泣いて笑顔になる、この時、心が豊かになる。そして心が豊かになったときに、「いい葬儀だった」と思う。そのために、照明があり、音楽があり、熟練の技があるのです。

故人のお顔の周りにお花を入れると、故人がきれいになる。「お花がきれい」というのが、お客様の頭の中では「故人がきれい」に代わる。

きれいになると、笑顔になります。

納棺の儀の、着付けの「間」も大切です。
着付けをしている間、お客様は故人がどんな姿になっているのか、見たいと思っています。その見たいという願望がかなえられたとき、お客様の心は満たされます。
その喜びの中で故人がきれいな姿だったら、それはいい葬儀になります。
真上から照明を当てているから、顔のしわも全部飛んでとてもきれいになる。そこにお花を入れるから、もっときれいになります。

そして照明が明るくなる。笑顔になりますよね。
ピアノは、春みたいな曲が流れる。これで笑顔になる。

葬儀屋のやるべきことというのは、この笑顔になれる時間をたくさんつくって差し上げることではないでしょうか?私たちは、お客様が「故人のことを愛していた」ということを思い出す時間と場所をつくることしかできないのです。

葬儀の中でさらに、故人を思い出す場所と時間をつくる?

例えば、担当者はお客様の話を聞きながら話し手の目を見て、すっと視線を故人の顔に移します。すると話をしていた遺族も、担当者の目を追ってすっと故人を見る。この時、お客様は故人のことを思い出すことができます。

さらに、実は棺の周りに集まった時に、お客様の立ち位置も自然と決まっているのです。人間というのはポジションがわかっているから、自然と自分の立つべき立ち位置に着きます。だから何もしなくても、故人の頭の部分に、故人と一番親しい人が立つようになるのです。

ひとり一人で棺にお花を入れると、お互いに譲り合ってしまいます。けれど、皆でお花を入れるとそれぞれのポジションがわかるから。「全員でどうぞ」という場をつくれば、故人との関係で、一番いいポジション、立ち位置に皆が自然に立てるのです。その上で、皆で故人をきれいにしていくと、そこには自然と笑顔が生まれてきます。それに合わせてピアノのテンポも変わると、さっきまで泣いていた方々が笑顔になるし、会話も生まれます。

ご遺族の立ち位置に合わせて、椅子を動かすのにも驚きました

何回も言うように、葬儀社は、故人を愛していたという場所と時間しかつくれません。だから、遺族が故人の顔をみてお別れができるように、ちょうど棺を囲めるように、障害物となる椅子を動かします。さらに、会場の前列の椅子を移動することで、2列目の参列者は故人に会いに行きやすくなります。

出棺する際にもやはり、きれいに出棺したいのです。
その時に椅子が、会場の隅に積み重ねてあったりというのは好きではありません。やはり並び方もきれいでないとだめ。そうと思っているから、その導線をつくるために椅子を移動しているのです。

今までのお葬式は、故人を置き去りにしていたかもしれません

お葬式では拍手もありましたね

出棺の時、ふたを閉める前に、故人の人生の卒業証書として、遺族には感謝状を読んでいただいています。この時、拍手をするか、しないか、はその場で判断します。

拍手はほめるときにしますよね?拍手で故人を送り出すことで、皆さん「ああ、おばあちゃんの人生、良かったんだろうなあ」と思います。だから、ひとこと「涙で送りますか?笑顔の拍手で送りますか?」と、お客様に選んでもらうのです。すると、「笑顔で拍手」となるから、「わかりました。皆さま拍手で送りましょう」となります。

拍手で送り出すかどうか、これはお客様が選んで、決めてくれることです。けれど、拍手で送り出したいという気持ちまで、お客様を導く時間が必要になります。だから、葬儀の前日に行う納棺の儀が、重要な役割を果たすのです。

お通夜の前の納棺の儀が、お葬式の予行演習になっているとおっしゃっていました

納棺を葬儀の予行演習のような形で行わなければ、葬儀の場で拍手などは起きません。

一回、納棺の儀で予行練習をして、お客様に動きを体験していただいて、そして葬儀でもう一回、同じことをしていただく。これから起こることが予想できるから、お客様は笑顔でお別れができるのです。

納棺の儀でお客様は泣いて笑って、心が豊かになっています。だから、担当者のことを信じようと思ってくださる。そこに、信頼関係が生まれるのです。そして、お客様ご自身が満足できたと感じていただけると、「いい葬儀だった」と思っていただけるのです。

実は、納棺の儀が終わって、お通夜の前に、私が遺族に挨拶に出ると、その時点でもう「いい葬儀だった」と言われることも多いのです。葬儀はもちろん、お通夜もまだ始まっていないのに。この辺りが、お客様と葬儀屋との感覚にずれがあるのかもしれません。

出棺の時間などもあるから、葬儀ではお客さんが故人と対話できる時間は15分しかありません。でも納棺の儀は、通常午後4時から始まって、お通夜がはじまる5時ころまでは何もありませんから。充分に時間がある。30分でも40分でも、故人と対話ができます。

「時間をつくる」というのは、こういうことなのではないでしょうか?今までのお葬式は、本当の主人公である故人を置き去りにしていたかもしれません。

どうしてこのような葬儀を始めたのですか?

10年くらい前、「あれ、今までの葬儀って、何か違うよね」と感じたのがきっかけです。葬儀において、すべての中心は故人。その故人に対して「ありがとう」を言うのがお葬式のはず。

でも、今までのお葬式って、故人を真ん中に置いてはいたけれど、喪主と会葬者を中心にした葬儀をしていたかもしれない。会葬者が来て、その会葬者に喪主が「ありがとう」というお葬式でした。「来てくれたことに対してありがとう」と。
もしかしたら、故人は置き去りにしたまま、その家の人たちがご馳走を食べて「おいしいね」という葬儀になっていたのではないでしょうか?

今の動きはどのように作りこんでいったのでしょうか?

誰も教えてはくれないから、時間をかけて自分たちで考えるしかありませんでした。だから、今、葬儀でやっていることについては、「何で今、こうするのですか?」「これは何ですか?」ということ、すべて答えられます。

例えば、入り口のロビーから式場に入るところに、故人の姿など思い出の写真などをあしらってデザインした、大きなタペストリーが飾ってありましたね。お客様は入ってきた瞬間に、「あっ」と思うでしょう。

これは、メモリアルコーナーに思い出の写真を飾るのとは違います。メモリアルコーナーも昔は良かったかもしれないが、家族葬が主流になって訪れる人が家族だけになったら、いくら思い出の写真を飾っても、それはいつも見ている写真に過ぎないのです。その家族が提供してくれた写真を飾っても、何もなりません。意味がないわけでありませんが、葬儀屋のサービスとして言うほどのものではありません。

「思い出ビデオ」も、日本で最初に葬儀に用いました。でも、今は、葬儀の中で「思い出ビデオ」を流すことはしていません。お通夜からずっと、会場のロビーで故人の写真集を流しています。

また、家族葬で、参列する人が家族だけになれば、司会の役割も変わってきます。今までのお葬式では、遺族が担当者に話したことが、司会に紹介されます。でも、参列者が身内ばかりでは、そこにはあまり意味はないのではないでしょうか?

確かに参列者が大勢いらっしゃるような時であれば、司会は力を発揮できます。でも、その力は参列者の少ない葬儀にはあまり必要ない。ナレーションは葬儀に多くの人が来た時代のものです。身内の方がメインお葬式では、ナレーションで故人の人生を説明する必要性は薄れています。

情報がすべてに回るから、全員が同じ感覚を持てる

全社員がiPadを持って、同じ情報を共有しているそうですね?

いい組織体をつくるというのは、経営者として当たり前のことです。問題は、社員全員にどうやって情報を伝えるのか?ということではないでしょうか?だから、全員にiPadを持たせています。

納棺関係のマニュアル、葬儀関係のマニュアルには、いつ、どこに立って何をするかを記してあります。こうしたマニュアルもすべて入っているので、百科事典をいつでも持ち歩いているようなものです。

すべて共通の情報ですから、「事前相談について、マニュアルのJ1-4を見てください」となれば皆が同じものがわかります。

見積書も、作成したら写真に撮って、iPadでアプリを通して送ればすぐに確認できます。

見積もりを手書きで作って写真で送るのですか?

これまでアナログだったものが、デジタルになった。それが次はどうなるか?というと、アナログになります。

見積もりを写真で送って、間違いがないか、検品する。もし問題があれば、iPadで書き加えればいいだけです。それをすぐに送り返す。

もしこれを自動計算にしたりするとエンジニアに頼んで、ソフトを組まなければならないし、一度組んだものは簡単には変えられません。でも、手書きで書けば簡単にできます。パソコンやコンピュータの最大の欠点は融通が利かないこと。人間は融通が利く。だから手書きのものを写真で送るのです。また、こうすることで誰でも使いこなせるようになります。

会葬礼状の内容、納棺の時にどうしたかといったことも、それぞれの担当が書いて皆で共有しています。死化粧も「洗顔、クレンジング……と、これだけの処置をしました。やせてしまって入れ歯が合わないということでしたので、マッサージでお顔を柔らかくほぐしました」など、どんな処置をしたのかといったことなども共有します。

世の中で一番大切なのは情報です。大切なのは、社内で情報の透明化をどこまで図れるかということでしょう。

会社が小さくて、月に葬儀が10件もない場合は、情報も自然と共有されています。しかし、会社が成長するに従って、だんだんと情報が共有されない組織体になっていく。さらに大きくなればそれぞれの部署が独立採算制になって、情報はますます共有されにくくなります。いかにこの情報の伝達を簡単にできるようになるかが、課題なのです。

もうひとつ、情報共有で大切にしているのが、昼礼ですね。

昼礼ですか?

15の会館を全てスカイプでつないで、午前中に起こったこと、午後の予定を共有しています。今日、どれだけの電話が午前中にあったか、といった動きを皆で共有する。朝礼も行っていますが、一日の流れを真ん中で分けた方が、間違いがありません。普通の企業だったら、一日の流れは朝礼の内容から8割は変わらないかもしれません。けれども葬儀屋の場合、一件の葬儀が入った瞬間から、すべてが違う動きになる。だから、朝礼で報告したことは、夕方になるとほとんど変わっています。

でも、これが昼になれば、午前中にやったことと午後、これからの予定はさすがに大きくは変わりません。昼礼で今日午前中にあったことと、昼から起こることを皆で共有すると、皆の動きがわかるのです。皆の情報がすべてに回るから、全員が同じ感覚を持てる。落ちこぼれは一人もいません。皆が同じレベルで話ができるのです。

さらに、担当がやっている仕事をいつも聞いているわけだから、新人も同じことができるようになります。担当と同じ情報が入って、担当が昼礼で行っている報告も同じように聞いて、担当が葬儀を行うための段取りや手順、理由が順番通りにiPadにデータが届いているので「こういうかたち、流れでするからね」と画面を見て説明すれば、すぐに理解できます。

葬儀はこれからどうなるとお考えですか?

例えば、葬儀で一番大切なのは誰かといえば、故人です。しかしポイントは孫たち。子どもたちがいつもと違う雰囲気の中で、お父さんたちは泣く姿を見た時に、子どもたちの心がどうなるか?ということです。

お別れをするときはひとり一人だけれど、椅子に座っている方もいろんなことを思い出します。そこでも時間を作っているのです。何も、故人と直接向かい合っている時だけが故人との時間ではありません。自分以外の家族が故人と対面している後ろ姿を見てどう感じるか?泣いている人の背中を見ながら、いろいろなことを思うでしょう。

子どもたちが、葬儀はこんな風に「ものすごく大事だ」と感じてくれれば、そして葬儀というものの力を感じたら、いつか大人になって、親を送らなければならない時にも葬儀をしてくれると思います。

子どもたちに葬儀を伝えるということですね

もしかしたら、私は他の葬儀社とは真逆のことばかり、話しているかもしれません。でも、それは私が、「葬儀社としてどうあるべきか?」ではなく「葬儀とはどうあるべきか?」ということを考えているからです。

これからのうねりの中で、葬儀がどうなるか?おそらく、日本で一番、葬儀を憂いているのは私です。葬儀屋として、葬儀をどのようにしていくか?このことを考えなければ。葬儀に価値があるかないかを決めるのは、お客様です。子どもたちに、「こんなに胸が張り裂けそうになる、葬儀って何なのだろう?」という風に感じさせることができるかどうか?

終わり良ければ総て良しというけれど、葬儀が素晴らしくないと、故人の人生まで評価が変わってしまいます。最期をどういうかたちにするのか?これは私たち葬儀屋にしかできないことでしょう。

葬儀をきちんとする。そのためには葬儀の内容がよくなければなりません。

葬儀の業界でも、これからどんどんM&Aは進むでしょう。葬儀社もどんどん淘汰されていくでしょう。そこに会館があるだけの葬儀社だったら、買いたたかれて終わり。ただの箱です。でも、社員の皆がすごい技を持っている葬儀社だったらどうでしょう?

うちの社員は全員すごい。

だから、もしもうちが買収されたとしても、社員にとってはオーナーが変わっただけで、いつもと変わらない。きっと、いつもと変わりなく、すごい葬儀をお客様に提供しているのでしょうね。

ありがとうございました

あと、最後にこの記事を読んだ葬儀屋さんの中で、ご自身の会社の葬儀がどうなのか?と考えていらっしゃる方はぜひ、私に連絡をください。手弁当で伺います。日本中の葬儀を見に行きたい。一緒に葬儀について語り合いましょう!

ご興味のある方は、ぜひご連絡ください。お待ちしてます

上村伸一

株式会社KAMIMURA会長
1959年鹿児島県鹿屋市出身。1981年父と共に上村葬祭(2007年、株式会社KAMIMURAへ社名変更)を起業。2016年会長に就任し現在に至る。
20年前から田舎の葬儀社ながら「日本一の葬儀社」宣言。その日本一の葬儀施行力をもって、故人様へ「ありがとう」を伝えるお葬儀を提供することを理念とし、その葬儀を伝える為に全国の葬儀社に指導を行っている。変化する葬送文化の中で、葬儀社の存在意義や「良い葬儀とは何か」を問い続け、日本一の葬儀力を提唱している。
2007年に婚礼事業部「ハウスウェディング ティヌカーラKANOYA」オープン。2015年にレストラン事業部「アニバーサリーレストラン THE MODERN CLUB」オープン。

「ライフエンディング業界のトップインタビュー」は超高齢社会に向けて先進的な取り組みをしている企業のリーダーにインタビューし、これからの我々が来るべき未来にどう対処し、策を練っていくかのヒントを探る企画です。普段は目にすることができないライフエンディングの最先端の場で、どのような取り組みが行われているのか?余すこと無くお届けします。

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