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コロッケ

「人を傷つけずに人が面白くなきゃダメ」葬儀社を演じて芸人コロッケが感じたこと

取材・執筆:北千代 撮影:村山雄一

2019年3月26日

ものまねタレントとして、第一線を走り続け、知らぬ人はいないほどの人気者、コロッケさん。2018年6月に公開された映画『ゆずりは』(加門幾生監督)では、本名の滝川広志として主演。なんと、お笑い一切なしのシリアスな演技で評判となりました。同作で、葬儀社の部長を演じた役作りの秘密や、葬儀社の仕事について感じたこと、被災地支援とも結びつく人生観、そしてコロッケさんが考えるご葬儀について、お話をお聞きしました。

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葬儀って、世の中で一番流れ作業でやれない場所

お葬式をテーマにした映画主演のオファーに対して、どのように思ったのですか?

単純に主役ということで飛びついたのですけれど、「葬儀社の気難しい部長役」というので、加門監督は僕に何を求めているのだろうと、よくわからなくなりました。葬儀だから楽しくしたいのかな、と思ったら、「一切ふざけないようにしてほしい」と。それで、「でも僕、ふざけないようにしているのが、ふざけているように見えるタイプなんですけど」と言うと、「大丈夫です」って。 真面目な映画では、真面目な顔で半歩下がるだけで面白くなってしまうんですよ。だから撮影中にも、「これで良かったんですかね?役者さんとしてもっとすごい人がいるじゃないですか」と監督に聞きました。 『ゆずりは』という作品では、自分に降りかかってくるかもしれないシチュエーションがオムニバスで入っていて、そのすべてに、葬儀屋さんが透明な存在として関わっている。 人の生き方だけでなく、人を見かけで決めないこと。諦めないこと。ぬるま湯の現状を変えることなど、いろいろなテーマを、さまざまなご葬儀を通して取り上げています。そして僕はそれを後ろから見ている役なんです。本来、前へ出るほうが好きな人間ですから、撮影の1ヵ月は辛かったですよ。 でも監督は、「コロッケさんの笑いでのすごさを、もっと違う形で出せれば」とおっしゃってくれた。

葬儀社の部長を演じるにあたって、役作りはどのようになさったのでしょう?

演じてみて、改めて葬儀屋さんのすごさを感じました。 人として気をつけていかなければならないこと。人として気付かされること。見過ごさないこと。そんな言葉がどんどん出てくるわけですよ。だから「これでいい」「これで大丈夫」という定型がない。台本を読んで、「こういう葬儀については、僕はどういう風に受け止めればいいんだろう?」と思いました。 だからまずコロッケを捨てなければいけないと考えて、コロッケに戻らないようにロケ地近くの駅前のビジネスホテルに、単身赴任で来たつもりで住みこみました。そして街を歩き、例えばおにぎりを2個買っているお年寄りを見ては、「誰かと食べるのかな?それとも明日の朝の分なのかな?」とか、「いつからここに住んでいるのかな、結婚してここに暮らすようになったのかな?」とか。そんなことまで考えるようになりました。 今までも、もちろん、笑いについては人間観察をして、そういう想像をして、喜んでいただけることや面白いことを考えていました。でも、この映画に関わったことで、人として「こうすれば大丈夫かな」「こうした方が供養になるのかな」「こうした方が皆さんの心の拠り所になるのかな」ということも考えるようになりました。コロッケという人間の人生観が、360度……っていうと元に戻っちゃうので、180度変わりましたね。

大変な転機となったのですね。

出演してから、葬儀へ行くと、違うところにばかり目がいってしまって。 葬儀社の社員の方が参列者を誘導しているのに、その誘導についてこない人もいるし、話を聞いていない遺族や参列者もいる。でも、お葬式が進行している中で、葬儀社の方は声を出すことはできない。だから、お焼香の後、お辞儀をして席に戻る遺族が向きを間違えそうになったら、邪魔にならないよう近くにいるスタッフに目配りをして促すなど、フォローに回らなければならないとか。そして、そうしたことを仕事として、ただやっているのでは成り立たない場所だと思いますね。 故人と一緒に過ごしていないのに、ご遺族の思いを共有する覚悟も必要だし、世の中で一番、流れ作業でやれない場所ですよね。そういう意味では、重くのしかかって来ました。 コンビニでいえば、レジを打って商品を袋に入れて終わるだけのことを、そのお客様の動きをみながら「朝からこんなに脂っこいものを食べていいんだろうか?」「冷たいお水と一緒だけど、お年寄りなのにお腹を壊さないだろうか?」ということまで考えなければいけない仕事が、葬儀という仕事だと思うんですよ。

演じることで葬儀の仕事が合っていることに気づかされた

映画の中での部長さん役がとてもリアルでした。モデルにされた方がいらっしゃるのでしょうか?

そう言っていただけて、めちゃめちゃ嬉しいですよ。モデルはいなかったので、監督と話をしながら、「様子をいつも見ている管理職」という姿を組み立てていきました。ビジネスホテル住まいをしながら、スーパーの店長を観察していると、店長はいつも店内を観察していました。 管理職というのは日本男児なんだなって思いましたね。 社長に言われたら言い返さない。でも、多くを語らないけれど、自分の中に思いもある。 葬儀社の方のお話も聞きましたが、穏やかな方でした。僕の役はもっと厳しい人でしたが、新人が来た時にすっと見て、「僕が若い時もああだったかもしれないな」と、置き換えられることが必要なのではないかと思ったんです。 でも、さすがにお葬式の現場研修はしませんでしたね。もし葬儀の場に僕がいて、参列者が笑ったりして、ご遺族が嫌な思いをするとダメじゃないですか。……僕笑われやすいんですよ。 もう覆せないんですけれど、後悔していることがあって。「僕はどうしてコロッケという芸名なんだろう」と。ご葬儀にお花を贈っても、故人と関係が薄い人は笑っちゃうんですよ。だって「社長誰それ、会長誰それ、コロッケ」そこでいきなりメニューになっちゃう。

とはおっしゃいますが、人間観察が緻密なことといい、実は葬儀の仕事が合っていらっしゃるのでは?

『ゆずりは』に関わり、演じることで、葬儀の仕事が合っていることに気づかされたんですよ。 日常で、お年寄りが横断歩道のそばに立っていたら「危ないな、大丈夫かな?」とすぐ後ろに立って様子を見ながら、ふらっと来たら支えられるようにしたりして。映画の影響で、そういうことを気にするようになっちゃいましたね。 今、考えることを面倒くさがる人って多いじゃないですか。でも、気にしないことや自分は関わらないということが、今の社会のすべての事件に繋がっていることだと思うんですよ。 全部関わる必要はなくても、ほんの少し関わることで回避できることもあるんじゃないか。特に僕ら世代が見て見ないふりをするから、あってはいけないことが起きているのではないかな?って思うんです。 僕はもう来年60歳になるんで、この世代が気にしなくなったら20年後には日本は壊れるんじゃないかと危惧しています。だから僕は気にして小言を言っていこうと思う。 もちろん疲れますよ。でも、関わった後輩に対しても、「まあいっか、この人の生き方だし」と思っておしまいにせず、「よくないんじゃない、それ」と言う。だから、前より忙しくなったんですよ。

結果として社会のためになればいいなあ

東日本大震災や熊本地震の被災地の支援も、継続してなさっていますね。

震災後、被災地にお邪魔して話をしたら、もう僕には責任が生まれていると思っているんです。例えば、「頑張ってください」って簡単に言えなくなる。だから、僕は「頑張ってください」と言った後に、「僕らも頑張りますから」と、約束をして、一生関わっていこうと決めて、守らなくてはいけない。 後輩たちにも「一年に一度でいいから、ノーギャラで人のために動こうよ。本当は10回くらいやりたいんだけど」と伝えています。事務所の都合があるなら、自分で施設を調べて、30分間一人でやってくるのでもいい。 僕も全部はできるわけじゃないけれど、人よりもお金をもらって、いいもの食わせてもらって欲しいものを買えて。だったらそういうこともやった方がいいんじゃないかなって、震災後は特に考えるようになりましたよね。そこへ『ゆずりは』の話がきて、僕の中ではどんどんウワーって変わりだしました。 そういうことをしたいという気持ちになったら、見て見ぬ振りはできない。今は仕事以外も忙しいです。結果は僕が決めることじゃありませんが、結果として社会のためになればいいなあと思っています。 体が動かなくなるまでは途中ではやめたりはしません。約束したことですから。 お酒を飲んでヘラヘラしていていけないんじゃないのかな、でもこういう時間がないとお笑いもできないしな、なんて考えたりもしますが。

映画『ゆずりは』に、続編の予定はありますか?

僕の頭の片隅には、いつも『ゆずりは』がある状態です。台本ができる前に現場で話をして、今までにない葬儀のスタイルなんかも台本に入れられたらいいですね。 それから、僕が動かなくても、笑いっていろいろできるんです。 涙ながらに駆けつけて来たのに、「お客様、隣でございます」とか。厳かな場所であればあるほど、実際に起こり得る。 ご葬儀じゃなくてご遺族の気持ちが落ち着いた法事の場面で、僕が面白い出来事の目撃者になるというのをやりたいですね。 これは実話なんですが、親せきの夏の法事で、お坊さんの頭にハエが止まったんです。そうしたらお坊さんが、ハエを振り払おうとして、お経を読みながら頭を2回振ったんです。ところがハエが頑張っちゃった。逃げないでお坊さんの頭に止まったままなんです。「ああこいつ、ハエの中ではお笑い芸人なんだな」と。もう全員に笑いが伝染しちゃった。 本当の喜劇って、人を傷つけずに人が面白くなきゃダメ。そういうことを、できるならやりたいですね。
去る人が明るく受け止めないと、遺った人が辛くない?

ところで、コロッケさん自身のお葬式はどうしたいとお考えですか?

参列者が楽しみになるような葬儀もできるんじゃないかと思いますね。芸能人のお葬式では歌ったりするでしょう。今はまだ非常識だと言われるかもしれないけれど、10年後20年後には当たり前になるかもしれないですよ。 楽しんでもらえる葬儀で送り出してくれる方が、故人の供養になることもあるかもしれない。 「僕たち一緒に、この歌を歌ったんですよ、歌ってもいいですか」って歌って、それでいい思い出に残るような葬儀ができれば楽しいし、その葬儀が参列者にとって一生残り、自分もああいう風に送ってもらいたいと思うかもしれない。賛否両論あるだろうけれど、映画で葬儀に関わってからは、そういう風にできれば素敵じゃないかな、と思うようになりましたね。 葬儀は、お金の面で問題がなく、本人の意思に反しないのであれば、その人が生きて来た証として行なう方がいいと思います。 葬儀で数十年ぶりに同級生に会い、縁が復活することもあるし、故人の話をして新しい発見をすることもある。葬儀のおかげで別の縁が深くなることを実感しています。 お葬式で久しぶりに会った相手の頭をじっと見つめてボソリと言う。「減ったな……」とか。そういうシーンでも笑いってありますからね。

終活のようなこともされているのですか?

エンディングノートも、全部ではないけれど、少しずつ書き始めています。 保険などは書かなくていいんですよ、調べればわかるし、財産がある人は、弁護士に話しておく方が早いだろうし。それより、何歳の時にこの曲が好きだった、子どもの頃にあの場所で怪我をしたとか、そういうことをエンディングノートに書いておくと、人生のちょっとした反省になります。 そういう思い出を全部書いて、残す財産がないなら最後のページに「揉めなくて済んだだろう?」って書いておくとか。 エンディングノートを書くと、生き方考え方が「精一杯生きていよう」とか、「人と話するときは精一杯話そう」となりますね。

終活が日常生活に反映されてくるのでしょうか?

前はしなかったけれど、今は飲みにいって新人の芸人の悩みを真剣に聞いて、「せめてどうなりたいか決めなよ、じゃないと今夜からどうしなければいいかわからないじゃない」なんて助言するようになりましたね。 その子が「コロッケに関わってお前変わったね」って言ってもらえると僕も嬉しいし、関わった以上は変わってほしいので言いますし。 昔は「見て覚えろ」だったけれど、今は見る気がないんです。だからそう言う時代だと受け止めて、その上で言わなきゃいけない。それはなぜかというと、団塊の世代の先輩たちが僕のことを諦めずに叱ってくれたから。だから僕も次の世代に継承していく。 そう考えると、葬儀というのは最後に行き着くところですよね?その社会で生きてきた生き様とかそういうものが、動きに全部見えてくるんじゃないかな。

コロッケさんは、誰にでも訪れる死というものを、とても明るく捉えているような感じがします。

友達の相談に乗っている時に「きっと前世では立場が逆で、僕が彼に相談に乗ってもらっていたんだな」というように、前世や来世を逆に考えることが多いですね。そういう命のリレーを、「来世ではどんな出会い方をするんだろう?」とか。可愛がっているワンちゃんがいたら、「来世で出会ったら気づくのかな」とか、そんな風に死後のことを考えます。 そういうことがあるんだろうなと考えれば、死を受け入れる気持ちの余裕が出てくるので。怖くないというと嘘になるけれど、怖くてしょうがないというのも嘘になる。受け入れなければしょうがないことですからね。 「去る人が明るく受け止めないと、遺った人が辛くない?」と思っているんです。

人間観察から始まるコロッケさんの芸と、葬儀社のスタッフには、こんなにも共通点があったのですね。改めて、コロッケさんが主役にキャスティングされた理由がよくわかりました。他にも、コロッケさんが人生で大切にされていることや、終活についての考え方などたくさん伺えて良かったです。ありがとうございました。

コロッケ

本名:滝川広志(たきがわひろし)
1960/3/13生まれ。1980年8月、NTV「お笑いスター誕生」でデビュー。TV・ラジオ等に出演する傍ら、全国各地でのものまねコンサート及び、東京/明治座、名古屋/御園座、大阪/新歌舞伎座、福岡/博多座などの大劇場での座長公演を定期的に務める。
現在のものまねレパートリーは300種類以上となり、ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、落語にものまねを取り入れた「ものまね楽語」、さらにはオペラやオーケストラとのコラボなどエンターテイナーとして常に新境地を開拓している。海外においてもアメリカ・ラスベガスを始め全米各地、中国、韓国、オーストラリアでの公演も大成功を収めた。アニメや海外ドラマの声優としても活躍の場を広げ、2018年6月公開の「ゆずりは」で、本名「滝川広志」として映画初主演を果たした。2014年文化庁長官表彰を受賞。2016年2月には「ものまねタレントの代名詞的な存在になり、唯一の特徴をデフォルメする独特のパフォーマンスはピカソの領域にまで達した」と日本芸能大賞を受賞した。また、芸能活動の傍ら、東日本大震災の被災地支援活動を精力的に行い、2012年防衛省防衛大臣特別感謝状を授与される。

【コロッケツアーコンサート 〜笑う顔には福来たる!〜】

6月20日:ルネこだいら
6月21日:千葉県文化会館

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