音楽と玉串で送る冨田勲さんお別れの会

2016年6月15日

2016年5月5日に慢性心不全のため逝去された作曲家・シンセサイザーアーティスト、冨田勲さんのお別れの会が、6月15日、東京・港区の青山葬儀所で行われました。

NHKをはじめテレビ番組や映画、アニメなどの音楽を作曲、数々の作品を創り上げ、またシンセサイザーアーティストとしても世界的に活躍した故人を悼み、関係者や友人、そしてファンの人たち、約800名が最後のお別れに訪れました。

宇宙から私たちを見ている

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祭壇は宇宙が好きだった冨田さんにちなんで、冨田さんが惑星にいて、宇宙からこちらを見ているようなイメージです。手前の方で、かすみ草が星のように光っています。菊やアルストロメリア、デルフィニウム、薔薇、ガーベラ、ジニア、ダリア、ゆり、そして白トルコキキョウなど、全部で3,500本以上の花で飾られています。

遺影は2013年の夏に幕張メッセで行われた音楽フェス“FREEDOMMUNE <ZERO>(フリードミューン ゼロ)”に出演した際のライブの写真です。

午前5時のトリに出場した冨田さん。朝焼けをバックにしたその姿は、宇宙に行って、今でもヘッドフォンで仕事をしているようで、最も「冨田勲らしい」と遺族や関係者が選ばれました。

冨田さんは、亡くなる1時間前まで、11月の新作の初演に向けて担当者と打ち合わせをしていました。

いつも通りの柔らかな表情で、熱心にアイデアを出していたそうです。

5月7日、8日に親族のみで執り行われたお葬式の際には、そんな冨田さんが次の作品を作曲するために、五線譜と鉛筆、消しゴム。そしてひ孫さんたちからの絵やお手紙が、棺の中に入れられたそうです。

追悼の辞 お別れの言葉

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映画『学校』でタッグを組んで以来、数々の映画で共に作品を作ったという映画監督の山田洋次さん、初音ミクの生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディア株式会社代表取締役伊藤博之さんが、お別れの言葉を述べました。

また、スティービー・ワンダーさんからも、映像のコメントが贈られました。

山田洋次さんからの追悼の辞(全文)

弔辞

あまりにも突然のことでした。

冨田さんがもうこの世にはいないということを納得するのは本当に辛いことです。

昭和の前半、あのファシズムの暗い時代から新憲法が誕生した戦後にかけての、この国の現代史を共有していた同世代の仕事仲間を失うことがどれほど悲しいか、僕は今さらのように思い知らされております。

今から23年前、夜間中学を舞台にした『学校』という作品の音楽を創っていただいたのが、初めてのお付き合いでした。

冨田さんは僕が知っているどの音楽家とも全く違うタイプの人。音楽家とか映画人とかいう臭味の全くしない、どちらかと言うと物理か数学の学者のような、硬質な雰囲気を持っている人でした。

その人が作りだした『学校』の音楽の鮮やかさ、美しさ、優しさに僕をはじめスタッフは心から感嘆したものです。「ああ、まさにこんな音楽が欲しかったのだ」と、嬉しくて涙が出そうになったことを今、僕は思い出しています。

『学校』シリーズ、そして『たそがれ清兵衛』をはじめとする一連の時代劇、さらに『母べえ』などなど、思えば僕がそれまでの作品を越えて新たな挑戦をしようとした仕事のすべてを、冨田さんはしっかりと抱きとめるようにして、見事な音楽で援護してくれたのです。

冨田さん無くしてこれらの作品はなかったのか。

今も僕は無かったのだということを、冨田さんがいなくなった今、しみじみと思います。

お元気な時になぜ言わなかったのか。

一言でもいい、「冨田さんあなたのおかげです」と感謝の言葉を伝えなかったことが、とても悔やまれております。

冨田さんが音楽の世界に残された大きな業績を思えば、僕の映画音楽の領域はほんの一部分かもしれませんが、しかし、僕はこれからも冨田さんと仕事をするつもりでした。

その予定がありました。

それなのに、同じ世代の友として一緒に仕事がしたかったのに、何で先に逝ってしまうのですか?

とても残念です。

心から悔しい思いにかられつつ、お別れの言葉を申し上げなくてはなりません。

さようなら冨田さん。

美しい音楽を創ってくださってありがとう。

あなたと、あなたの芸術を、僕はいつまでも忘れません。

2016年6月15日 山田洋次

Stevie Wonderさんからのコメント(全文)

A SYNTHESIS EXTRAORDINAIRE.

その発想は、並外れていて

A SPIRIT LIKE NONE THAT I EVER KNEW

その精神は、他に出会ったことがなく

A HEART THAT REMINDS ME OF MY GIFT THAT I WEAR EVERYDAY

その心は、いつも、思いおこさせてくれる

FROM MY MOTHER THAT SHE GAVE ME ON MY BIRTHDAY

私が生まれたときに、母から授かつたものを

IN 2006,THAT SAME MONTH, MAY 13 TH, MY BIRTHDAY – THE 31ST, MY MOTHER WENT TO HEAVEN,

2006年、私の誕生日5月13日と同じ月の31日、母は天国へと旅立つた

AND I KNOW SOMEWHERE, AT SOME TIME IN ETERNAL LIFE,

でも、私は知っている、いつかどこかで、永遠の生命を得た

TOMITA AND MY MOTHER WILL MEET AND THEY WILL TALK ABOUT ME

TOMITAと母は出会い、私について語り合い、

AND SHE WILL TELL HIM HOW I LISTENED TO

そして母は彼に話すだろう、私がどれだけ彼の音楽を繰り返し聴き、

HIS MUSIC CONTINUOUSLY, HIS TALENT, HIS GIFTS

その天賦のオ能を信奉していたかを

TO THE FAMILY, YOU WERE BLESSED WITH A WONDERFUL GIFT.

ご親族のみなさん、あなたがたは素晴らしい贈り物を与えられました。

AND, AS WE KNOW, GIFTS FROM HEAVEN HAVE TO ULTIMATELY RETURN TO HEAVEN.

そして、ご存知のとおり、天からの贈り物は、天に返されなければなりません。

SO, LETS JUST CELEBRATE THE GIFTS THAT HE LEFT BEHIND TO ENJOY.

だから、いまは、祝福しましよう、彼が遺してくれた素晴らしい作品を

THANK YOU.

ありがとう

親族代表の挨拶

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喪主 冨田勝さんの挨拶(全文)

本日は大変お忙しいところ、父、冨田勲のお別れの会にお越しくださいまして誠にありがとうござました。

冨田勲の音楽を愛してくださった方々、冨田勲と一緒に仕事をしてくださった関係者の方々、そして親しくお付き合いをしてくださった方々に心より御礼申し上げます。

父 は先ほどご紹介もありましたけれども、倒れる直前まで創作意欲満々でおりました。

そして、家族には冗談で、「いや、もう11月までは死ねなくなっちゃったよ」といたずらっぽく言っておりました。

父は最近低血圧のため、時折、立ちくらみのようにふっと意識が薄れるということは、よくありました。

なので、今回倒れた時も父の意識は徐々に、薄らいでいったと思いますので、またいつか、いつものように意識が戻ると思っていたと思っています。

そういう意味で は、父はまだ自分が亡くなったということに、気づいてないというふうに思います。

皆様のお手元にお配りした中に、冨田勲の言葉がございます。

「渡り鳥が、危険を冒してまで海を渡るように、やらねばならぬことは、人それぞれにある。私の場合はそれが音楽だったのです。」

これは、冨田勲が82歳の時の言葉でした。

父はこうも言っていました。

「蝶の中には何世代もかけて大陸間を移動するものがいる。」

ということは、一世代目、二世代目の蝶は目的地に到達する前に寿命が尽きるということを知っていながら飛び続けることになります。

「これは生物学的にどういうことなのか」とよく私に尋ねました。

将来、人類が別の宇宙の、別の銀河系の星に移動するときも、何百年何千年という時間がかかりますから、「人ひとりの寿命では足りず、何世代もかけて、宇宙船で生活することになるんだ」という父の言葉も忘れられません。

父はまだやりたいことが2つあると言っていました。

1つは言うまでもなく、『ドクター・コッペリウス』ですが、もう1つのやりたいことというのはなんだったのか、 正確には私たちにはわかりません。

冨田勲の最後の夢とは、冨田サウンドの理想の宇宙を次世代に引き継いでさらに発展へ進化してもらいたかったのかもしれません。

今そんな父がおそらく一番皆さんにお聞きいただきたいと思っている曲はイーハトーヴ交響曲の中の『銀河鉄道の夜』です。宮沢賢治の童話の中で、銀河 鉄道は亡くなった者の魂を天国に運ぶものとして描かれています。

そしてこの曲の中に、冨田勲作詞の讃美歌が出てまいります。

どういう気持ちでこの 詩を作ったのかわかりませんが、その一節とは、「もうよい、お前の務めは終わった。その地を離れてここにおいで。永久に平和に暮らしましょう」という、とても意義深いものです。

この後みなさんにお聞きいただきますけれど、曲が終わりましたら、父に盛大な拍手を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

本日はおい でいただいたお一人お一人に、心より感謝を申し上げ、親族代表としてのご挨拶とさせていただきます。

本日は本当にありがとうございました。

回廊に飾られた作品

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NHKの大河ドラマや、手塚治虫さんのアニメーションなど、これまで冨田さんが手がけてきた数々の作品が回廊に並びました。

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テーマ曲を聞けばその番組が思い浮かぶ、冨田さんの音楽にはそんな力がありました。

11月に追悼特別公演を上演予定

当初11月に予定されていた「冨田勲 生誕85周年記念 新作世界初演 冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」は、故人や遺志や遺族の意向も踏まえ、タイトルを「冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」と変更し、予定通り新作の上演を行うそうです。

神道のお葬式とは

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今回、冨田さんのお別れの会は神式で行われました。

式次第にもある玉串拝礼というのは、榊(さかき)の枝に、紙垂(しで)や木綿(ゆう)を付けた玉串(たまぐし・たまくし)を神様にお供えすることで、とても重要な意味があるとされています。

また諡(おくりな)は、冨田勲大人命(うしのみこと)です。

「冨田勲氏お別れの会」

発起人:

伊藤博之氏、大角 正氏、桑波田景信氏、吉田眞市氏

喪主:

冨田 勝氏、冨田明子氏

式次第:

開式の辞

黙祷

足跡(映像)

追悼の辞 お別れの言葉

弔電奉読

遺族代表挨拶

音楽「銀河鉄道の夜」

神社神道 玉串拝礼

冨田勲さんのお別れの会に出席した人々

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冨田勲さん略歴

冨田氏は、日本コロムビアで作曲家としてのキャリアをスタートさせ、NHK大河ドラマの第1作や手塚治虫アニメの音楽などを多数手がけました。
1970年代からは、シンセサイザーをいち早く導入し、「月の光」や「惑星」など数々の野心的なアルバムを発表。日本人で初めて米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けています。
近年では、2012年にバーチャル・シンガーの初音ミクをソリストに組み込んだ「イーハトーヴ交響曲」を発表し、国内外で上演を重ね話題となりました。
また、今年11月に上演予定の新作「ドクター・コッペリウス」の創作活動を逝去の直前まで行っていました。

日本コロムビア株式会社HP より)

(小林憲行)

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