姉に捧げる

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今は亡き家族へ

「もしもし、ときちゃん、元気ですか」とよく電話をくれた姉はもうそこにはいない。

姉の月命日には、必ず佛壇に灯りをともし、手を合わせることにしています。白い線香の煙の中に姉の姿を思い浮かべながら。

戦中、戦後、我家は貧乏のどん底にあった。僅かの金で米や醤油などを買いに行ったことを思い出します。

母のはからいで、私たち姉妹は女学校にいれてもらえました。

今思えば、食べ物を減らして授業料をかき集め、近所の商店にお金を借りに行く姿を見たことが度々あった。私達が今こんにち日あるのも母のおかげである。

今日はくしくも母の日である。亡き母に感謝の祈りをささげると共に、こうしてペンを取れるのも、セクト株式会社の心遣いのおかげと思い、一人留守番をしながら思い出を綴ることにしました。

佛前の煙も消えてしまいました。

思えば一昨年、九十一歳の姉を送りましたけれど、足腰の悪い私は葬儀に参列できず、二人の子供にたのみ今生の別れを遠くから祈りました。

私からのお別れの文ふみを、スタッフの方がお棺の前で読んで下さって、中におさめて下さったそうで、とても感謝いたしました。

私は、はるばる鹿児島から千葉に移り住みました。これも姉のすすめがあってのこと。

しかし、姉の住んでいる埼玉と千葉がこんなに離れていようとは夢にも思わず、朝夕毎日逢えてお茶を飲みながら楽しい語らいが出来るものと、遠い此の地にやってきましたが、なかなかその機会がなくて哀しい思いをしました。

でも、電話と手紙のやり取りで語り合いが出来たことはとてもうれしいことでした。

五人姉弟の他の三人は早死で、二人だけが残り、昔のことをよく話しました。

あの病弱の姉が九十一歳まで長生きしてくれてよかったと、今つくづく思い、セクト株式会社のはからいに感謝しながらペンを取りました。

姉に伝えたいことは、千葉に来てよかったこと。九十歳を超える高齢まで生かしてもらい、いろいろ力づけてくれてありがたかったこと。心から感謝しています。

私もやがて黄泉の国へ参ります。父母や弟達と逢えることを楽しみにしております。どうぞよろしくお願い致します。

平成二十六年五月十一日

合掌

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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