爺さんの孫でよかった

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今は亡き祖父へ

武士の末裔を誇りとして、常に肩いからしていた爺さん。爺さんこそ、会津人の中の会津人と私は思っています。

他所から来た人に爺さんから話しかけるなどは全くありませんでした。ただ、じいっと見つめるだけ、世間で言う頑固で偏狭者、これが会津人。先祖が武士というだけですること考えることが古い。他所の人には、容易に心を開かなかった。

だが、爺さんには、会津人の頑固ぶりとは裏腹のものがあったのです。というのは、人というものは、決して一人では生きられない。互いに信じ合わなければならない。それが例え貧しくて、人に施しを得て生活している人でも、我等のように武士の子孫であっても、この豪雪地で生きるには、互いに手を取り合い助け合っていかねばならない。この精神こそが、会津人である。

会津を去る人は言ったよ。「別れるのが辛い。会津人に流れるあたたかさを忘れられない」爺さんとずっと一緒にいたい。そう言って涙する人が多いのには、私は驚くばかりでした。

ある人はこうも言った。「爺さんに、適齢の子があれば、嫁にもやろう。婿にも出そう」と。また、この雪国で、「野菜がなくて困った」と思ったら。次の朝玄関に、雪と土がついた大根、白菜等たくさん。きっと爺さんだ。礼を言えば、横を向いたままで「好きなもんで、えがったなあ」と言うばかり。

頑固で、他所の者を受け入れることがない――。それが、会津人と思えば、意外に温情深く、義理堅いことがわかり、心がほのぼのとするのである。

この地での生活が長くなると、他所からの人々が口にするのは「住めば都、爺さんを代表に、会津人の情の深さには泣かされる。朴訥で心あたたかで優しさに満ちあふれている」と。

子供達はまた、この爺さんの心が好きと、暇を作っては、爺さんの囲炉裏に、輪を作る。

爺さんは、細い目をますます細くして、昔、昔を語り、サツマイモを、餅を焼き、竹ばしに飴を絡ませては、古い古い歌を歌う。

春、子等と雪のトンネルでフキノトウを。

夏、大沢の深みで山女を追う。

秋、大木をゆすり、栗の実を拾う。

冬、白銀のスロープでソリを走らす。

爺さんは、かわいい爺さんとなる。

爺さん。今ごろは、人の良さを見つけては賞め、苦しさも、楽しさも分け合っているんだろうなあ。子供達と大声を出して遊んでいるかな。

爺さんは、私達のアイドルだと思う。爺さんの孫でほんとうによかった。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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