待ち合わせ

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今は亡き祖母へ

“岩菊ばあちゃん。やっぱり仏壇って、要ると思うわ”

お供えしながら、私は心の中で話しかける。

岩菊ばあちゃんの生涯は、波乱万丈だ。

病気がちな夫に代わり、男と同じだけの農作業をこなした。

それでも、貧しかった。

そのうち、会社の経理を手伝ってほしいと、親戚から声がかかり、満州に出かせぎに出たそうだ。

日本を留守にしたわずか一年の間に、夫は博打にはまり、田畑は次々に売り払われた。

噂を聞いて、あわてて帰国した直後に夫は亡くなり、あとには借金と、娘だけが残った。

待ち合わせ

やがて娘は養子を迎え、二人の子どもを授かる。が、戦争は容赦なく、まだ若い娘夫婦の命までも奪った。

遺された孫たちだけが、岩菊ばあちゃんの、たった一つの希望になった。

それが私の父と叔母だ。

今度は孫を親がわりに育てることになった岩菊ばあちゃんは、ある朝、仏壇を縄でぐるぐる巻きに縛ったという。

そして言った。「生きてるモンが、先」と。

それから何十年もたって、田舎でひとり暮らしをしていた岩菊ばあちゃんは、わが家で同居することになった。

一緒に暮らしてみてわかったのだが、岩菊ばあちゃんは、とても進歩的な人だった。

百貨店や一流ホテルにも気後れせず出かけるし、初めて食べるナポリタンにも、「ほう? 赤いうどんやな」と目を細めた。

お酒で気分が良くなるとすぐ歌いだし、当時、子どもの仕事だった仏壇へのお供えをしようとすると、

「忙しいのに、やめえ。だーれも文句なんか言えへんで」

なんて言っていた。

そのくせ自分は毎朝、近所の寺社に出かけては、草むしりをしていたのだが。

ひと一倍苦労をした分、ひと一倍長生きもし、死ぬ間際は、ずいぶん痴呆の症状が進んでいた。

それでも、ふっと記憶がつながる時があるようで、母に、

「あんた、ええ人やなァ。うちの孫の、嫁に来てくれんか? ほんに、ええ子やで」

などと父を売りこみ、世話する母を泣かせた。

名前の通り強く、美しく生きて、岩菊ばあちゃんは逝った。

チンチーンとお鈴を鳴らす。

「岩菊ばあちゃん、元気?」

なんだかおかしいけれど、うちの家族はみんなそう言って、仏壇の前に座る。

こっそり、愚痴も聞いてもらったりする。

ここは岩菊ばあちゃんとの、大事な待ち合わせ場所なのだ。

“いろいろあるけど、みんな元気にやってるよ”

明日もわたしは、同じ言葉を思うのだろう。

そしてそれが、岩菊ばあちゃんが私たちに遺してくれた、最高の幸せなのだろう。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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