祖母へ

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今は亡き祖母へ

おばあちゃんが、黄泉の国に旅立たれて何年になるのでしょうか?

里紗が二歳の頃だから、もう十八年になるのですね。

彼女は、今度の冬に成人式を迎えます。い

・ ・・・まどきの女子大生になりました。

十八年というと、随分永い月日のようですが、「アッ!」という間だったというのが実感です。

辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、驚いたこと……。

私には激動の十八年間だったように思います。

叶うことなら、体温を感じる距離でお話ししたいです。

さてここ数日、新聞を見ていて気になることが出てきました。

以前より「おくやみ欄」には目を通すようにしていたのですが、私と同年代の方の訃報が相次いで掲載されているのです。

という事は、私にもそろそろ「死」について、考えるなり準備するなりすべき時が近づいて来たのではないかと、ふと思ったのです。

やや極端な例え話ですが、織田信長公の時代には「人生五十年」といわれていたとか……。それなら、私に残された時間には限りがあるのではないかと思うのです。

尤も、信長公の時代と同一に考えるのは無理があるでしょうが、何ていうか、人生の黄金期、大きなイベントを一通りこなした、人生の総まとめの時期に差しかかって来たと思うのです。

そこで意志の弱い私は、今後の生き様を誰かに宣言したくなったのです。

で、真っ先に頭に浮かんだのは、おばあちゃんでした。

いつも自分のことより私を心配して、見守り続けて下さったおばあちゃん。

私との最後の会話……。

今でもはっきりと耳の奥に甦ってきます。

祖母 「ともちゃん(私)、里紗ちゃん(私の一人娘)どーや?」

私  「あんまり、てなわん(福井の方言:やんちゃ、利口、賢い)で困るわ」

こんな私でも、なんとか娘を成人させることができました。

そこには、常々おばあちゃんから受継いできた人生の教えがあったからです。

さり気ない日々の会話の中に、自然に散りばめられていました。

「目先の欲に捕らわれるな。先を見て行動せよ」とか「誇りを持って生きよ」などなど。

現在の私は「ほんの小さなことでもいいから、人様のためになるよう日々過ごしていきたい」と考えています。

それは、別に人に誉められなくてもいいし、誰に気付かれなくてもかまわないのです。

私が取った小さな行動が、いつかどこかで、何かの弾みで名も知らぬ方の役に立てば良いのです。

具体的に表現するとすれば……、何だろうね?

「毎日、元気に明るくニコニコしていて、周囲のムードメーカーになる」ことかなあ……。

おばあちゃんが鬼籍に入られてから約一年後、私には表現できないくらい辛い日々が続く出来事がありました。

それもなんとか乗り越えて今日の自分があります。

この十八年間の集大成として、今、私はおばあちゃんに私の生き様を宣言します。

伝えます。

「私は真っ直ぐに、堂々と生きてきました。これからも、不器用だけど、堂々と、誇りを持って、生きていきます」

そして、この堂々と生きていく私の後姿を見て一人娘の里紗が、彼女なりに誇りを持って堂々と生きて行って欲しいと考えています。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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