今は亡き友へ
Yさん、私は、元気ですよ。
K組のY所長を信頼して、長年にわたり三百億もの仕事を任せた地元F社のS会長もお亡くなりになって、既に四年が過ぎました。
F社も人手に渡り、当時の社員と会うことも少なくなりました。
S会長発注の仕事の現場責任者に私を任命してくれたことを心から感謝しています。
昭和から平成へと移り変わる時に、四十五歳でS会長に出合い、多くを学ぶことが出来ました。
地上百メートル地下二十一メートルの観音像建立は、S会長を中心に、多くの難題を解決しながら完成でき、私のライフワークとなりました。
「この形では営業面で採算がとれないから設計変更しましょう」
と持ち掛けたところ、
「お世話になったS市に恩返しするつもりだ。美しいものを創れ!」
施工中に小
ボ
ヤ火を出してテレビで放映されたときも、謝罪に来たK組トップに、
「観音像に魂を入れてくれた」
と庇ってくれました。
工事現場が大好きで、職人たちにも好かれながら、社内では、ワンマンぶりをいかんなく発揮していました。
毎年二回、S会長の誕生月と命日の月に、当時の仲間とゴルフの会を開催しています。
海外での膝まで浸かった雨中のゴルフや、ルール無視のプレーぶりはいつも話題になります。
Y所長は観音像の完成を待たずに他界してしまい、S会長は本当に寂しそうでした。
Yさん(所長)が健在であれば、F社の経営も変わっていた気がします。
私を育ててくれたYさん、S会長、姿は見えませんが、声は聞こえています。
お陰様で、人生の価値を、多面から見て選択できる余裕をもって生きていく自信を持てました。
東日本大震災で倒壊したYさんのお墓も、奥様がしっかり復旧して守っております。
私たち家族は、現在も、Y所長が現役時代に、企画から施工まで担当した団地で、楽しく過ごしております。
私は、お二人の分以上に長生きします。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。