今は亡き父へ
生体解剖、人体実験をなした、七三一部隊にあなたは所属していました。しかし、五十年間そのことを隠し通していました。
それは、引き揚げ時に、絶対口外してはならぬ、との絶対命令を受けたからでした。
あなたが語ったのは、戦後五十年経った、一九九五年、八十歳の時でした。
亡くなる二年前の時でしたね。
高校教師をしている私に、自らがなした悪行の限りを語りました。
なぜ語るようになったのかを問い直しています。
公害病認定患者であったあなたは、死を覚悟するようなことが、二度ありました。きっと、そのことも影響したのではなかったのかと、思っています。
このままでは死ねないという思いが伝わってきました。
仕方がなかった、いやだと言えば自分が殺されたと、何度も言いましたね。
特に、中国の婦人と祖母から、三歳ぐらいの女児の命乞いをされた時は、何とかしてやりたいと思ったと、語っていましたが、何ともできず、悔しいと言っていました。
我が愛娘を、二歳で亡くした直後の出来事だったようで、その時の思いが伝わってきました。
あなたの、私たち子供に対する思いは、成績は真ん中で、人に迷惑をかけるな、困った人がいたら力になってやれ、というものでした。
きっと、あなたの正義感は、そんな極限の世界で、築かれたのではないでしょうか。
私たち子供は、あなたの思いを受け、教師・保育者の道を選択しました。
あなたが亡くなった一九九七年は、孫たちは、まだ小さかったですが、多くが、教員の道を歩んでいます。
あなたが最期に遺した言葉、「真実の歴史を伝えよ」を遺言として、今それを伝えています。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。