魔女の館

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今は亡き友へ

先生、ご無沙汰しています。

今から四十年前、訳も無く親に反発していた中学・高校生のおれにとって、先生のピアノ教室は格好の避難所でした。

ちょっと厳しいあなたと、優しいおまんにゃん(と呼んでいたおばあさん)、仲良しの二人の老女の住む小さなピアノ教室のことは、現実だったと思えないほど夢のようです。

温かくて居心地がよくて、まるで一度入ると出られなくなる魔女の館のようだったと言ったら怒るかな。ピアノの時間より珍しいお菓子を食べながらおしゃべりする時間のほうが長かったですね。おれのような汗臭い男の子とよく仲よくしてくれました。

部活の剣道で疲れて、居眠りしながらピアノを弾いたこと、悪態ついて怒らせたこと、十分練習していかなかったことなど、いろいろごめんなさい。

剣道した後だとタッチが荒れて、すぐばれてしまいました。居眠りしていても手が勝手に動いていたのは、自分でも不思議でした。そんないい加減な練習でも楽しかった。

若い時の事故で視力をほとんど失ったため、ピアニストを諦めてピアノ教室を始めたこと、一人息子の嫁と折り合いが悪くて別居していたことなど、苦難の人生だったことは世間知らずのおれにも分かりましたが、それでも凜としている姿は、老いても美しかった。

今日はおふたりが相次いで病気で亡くなってからのことをお話します。

先生の孫が大きくなってからおれがピアノを教えたんだよ。あの頃、おれの練習のときに鍵盤叩いて邪魔してた、先生の小さな孫娘だよ。その後彼女はフルートをやっていたと聞いてたので、ピアノではないけど、先生の音楽はきちんと繋がってると思います。少しは先生に恩返しできたかな。

実は、おれも今ではほとんどピアノを弾いていません。けれど、同じ鍵盤楽器のアコーディオンを弾いていて、あちこちで喜ばれてます。

音楽仲間からは、よくそんなに指が動くね、と言われますが、先生から基礎をきちんと教えてもらったお陰です。先生に改めて感謝します。未だに効果があるなんて先生はやはり魔女でした。

先生の墓参りをしてなくて勘弁です。

でも、たまにあの小さな家の跡地には行ってました。見えないだけでまだ同じ場所にあるような気がして、落ち込んだとき、あの幸せだった空気を探しに行って深呼吸していました。

いつかおれが死んだら高校生の姿で遊びに行くから、あの不思議な魔女の館でお菓子を用意して待っていてください。先生と、おまんにゃんと、三人でおしゃべりしよう。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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