今は亡き母へ
こんにちは。元気にしていますか?
二十年ぶりに会えたお父さん、元気だった?
大好きだった「朴葉すしと漬物」もう作ってあげた?
会った途端のリクエストだったでしょう?
お母さんの朴葉すし、天下一品だったもんね。
あちこちにいっぱいファンがいたね。新潟でもね、六月になると、みんな首を長くして待っていたんだ。
大学の時も、結婚してからも何度も何度も、ふるさと便が届いて……。子供への誕生日、クリスマス、お年玉。いつも、優しい手紙が必ず入っていたよね。
平成十四年、横断歩道を渡っていて、交通事故に遭った時、本当に逝ってしまうかと思った。自分が生死の境にいるのに、相手の子には「十九歳で将来があるんだから、何も罪を背負わせなくていいです」なんてお巡りさんもびっくり。
でも、そんな優しさを、神様は、ちゃんと見ていて下さったね。また、一人で電車に乗り、仕事が忙しくなる妹の所に通えるまでに回復してくれた。
自分のことは後回し、人が喜んでくれるのが嬉しくて、いつも笑顔で、みんなに接していたよね。
お父さんもそうだった。あまりにも優しすぎて、人に迷惑をかけるのが大嫌いで、救急車も呼ばせなくて、五十九歳で旅立ってしまった……。その日まで仕事していたのにね。
お母さんが退職して、これから、一緒に旅行に行けるね……ってタイミング。寂しかったよね。
でも、お父さんが亡くなってから、お母さんは、一段と頑張っていたよ。私には、真似できないほど。
お母さんが亡くなった時に見つけた「宝物です」の大切な包み。
お父さんの手紙……。お母さんが退職した時のお父さんからの感謝状、こんなのもらえる人なんてほとんどいないと思う。
二十年も大切に取ってあったことにびっくり、感動! 四十六歳で取った調理師試験の時の、お母さんからの「お父さんのお蔭で、しっかり勉強できます、ありがとう」っていう手紙とか。お互いがこんなに感謝し合える夫婦だったなんて、すごいことだと思う。
大腸がんの手術後も、すごく頑張ってくれた。
痛いと言わず、ドクターや看護師さんに気配りし、私たちには毎日の「ありがとう」。
こっちこそ、ありがとう。最後の一ヵ月、思いがけず、一緒に過ごせて幸せだったよ。
あなたの「笑顔」は最高。写真を見る度、元気になれる。ここにいないけれど、ここにいる。
またいつか、絶対、一緒の家族になろうね。出会ってくれてありがとう。
「感謝、感謝、毎日感謝」あなたの口癖が今もずっと、聴こえているよ。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。