一心同体

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今は亡き家族へ

私は中学を卒業すると二つ上の兄を追って、宮大工の修業に東京へ出た。

早朝から深夜まで寝る間を惜しんで働いた。仕事も厳しかった。少しでも失敗すれば容赦なく飛んでくる親方の鉄拳、頭にはコブができ、手足はいつもアザだらけだった。

そんな辛い毎日だったが、未来の名工を夢みて兄貴と励まし合いながら頑張った。

七年間の年期が明け故郷に帰った。小さいながらも兄貴と二人で店を構え、若い弟子もとり順風満帆な船出だった。ところが、あまりの忙しさから過労と不摂生がたたり私は倒れてしまった。病名は重度の腎不全、長い入院生活が続いた。

半年後仕事に復帰したが、二日に一度、半日もかかる人工透析は体力を消耗させ、ほとんど仕事にならなかった。兄貴が一人で現場をかけ回わり仕事をこなしていた。が、災難がまた襲った。今度は兄貴が現場で足場から落ち脊髄損傷の大怪我をしてしまった。下半身麻痺で自力では全

く歩けない。車椅子の生活は、兄から宮大工の仕事を奪ってしまった。

こうなったらオレが頑張るしかない。透析の合間を見ては、だるい体にムチ打ち必死に仕事に向った。

ある日、兄貴は目にいっぱい涙を浮かべ私を呼んでこう言った。「俺の腎臓片方お前にやる…ヒロ!この店頼むぞ」。兄貴の強い決意に私は頷くのが精一杯だった。兄貴の宮大工魂のすごさに、兄弟の絆の強さに、ただ嬉しくて泣いた。それから六年後、兄貴は病に倒れ天国へ旅立ってしまった。今、私の片方の腎臓には、脈々と兄貴の血が流れている。しんどくてへこたれそうになった時でも兄貴が後にいて、オレの背中を押してくれているように感じる。

「兄貴!どんな険しい坂道だって越えてみせるよ。だってオレはいつも二人力だもんな。悲しみや辛さは半分づつ、喜びは二倍だぜ!」

そう言って毎晩、兄貴の遺影に手を合わせている。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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