今は亡き夫へ
あなたが逝って、今年の春で七年が経ちました。
私は最近ようやく、和室の小さな仏壇の前に座って、手を合わせることができるようになりました。押入れに仕舞いこんでいたあなたの遺影も箱から出して、長押(なげし) に飾りました。
それはこの春のお彼岸に、娘と二人で京都にあるあなたのお墓にお参りに行ったときから考えたことでした。墓参りの帰り、産寧坂の近くの茶店で、娘の口からあなたの死を未だに友人達に秘していると聞かされ、私は驚いて声が出ませんでした。気を取り直して、父親のことを聞かれたら何と答えているのかと尋ねると、まだ生きているように話しているというのです。私は愕然としながら、娘の心中を慮ると胸が痛みました。父親であるあなたを失った時、娘はまだ中学一年生でした。
「どうして?」と続けて訊くと、「だって、同情されたり哀れんだりされると鬱とうしいもん」と娘はつっけんどんに答えました。「母さんもそう思わへん?」と同意を求められて、私は答えに窮しました。その通りだったからです。
私も未だに同僚や友達にあなたが亡くなったことを言いたくありませんし、訊かれたくもありません。七年前、何の前触れもなく突然私たちの目の前から居なくなった、辛く苦しかった日のことを思い出してしまうからです。
娘が今なお固く心を閉ざしているのは母親の私のせいでした。私こそが未だに立ち直れてなかったのです。そんな私を見て、きっとあなたは心配でまだこの世とあの世を行き来していたのではありませんか。安心して天国に旅立つことが出来なかったのではないかと今になって悔いています。
ごめんなさい。私はようやくあなたの遺影に見守られて前を向いて歩いていくことが出来るようになりました。
いつか私がそばに行くその日まで、写真のままの若いあなたでいてくださいね。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。