今は亡き母へ
あなたの膝にまつわり付き、決まったように姉弟喧嘩。
原因はいつも同じだったよなー。
小一か小二だった私は、一つ違いのアッコ姉に、「姉ちゃんズルイ、今度僕の番や」と抗議する。
するとアッコ姉は、前回交替せずに居座ったことをたてに取り、「この前長かったから今度は抜きやで」。「ちゃうわ、順番は順番や」と、言い争いが始まる。
「また喧嘩かいな。ほな、もう止めや」
いつもあなたの一言で場は収まった。
一週間に一度くらいだろうか、あなたは子供達の耳掃除をしてくれた。
五人兄弟の上から順番であるが、姉二人と私の三人は年子同然の年齢差で、言い争いが絶えなかった。
あなたの膝枕は、たおやかな弾力があり、温かかった。
時が経つほど心地良く、快感と相俟ってひと時の夢を育んでくれる。
あなたの手で、魔法のように動く耳かき棒が、「クシュクシュ」と軽やかに反転を繰り返すと、えも言われぬ境地となる。
終わっても、「もうちょっと、もう一回」と、ねだる。すると、また喧嘩。
温かな感触と甘酸っぱい残り香が、身体を包んでいた。あれは中学一年の夏だったかなー。
オヤジが商売に失敗し、連日債権者・取り立て屋が押し掛けてきた。
オヤジは不在、留守を預かるあなたは集中攻撃を受けていた。
罵声が飛び交い、トマトが投げつけられた。
巣立った兄貴を除き、四人の姉弟妹は、あなたを囲むように寄り添った。
怖かった。あなたは思いっきり抱きしめてくれた。
私達は声を圧し殺して泣いた。あなたは耐えた。
喪主でありながら、あなたの最期は看取れなかった。ゴメン。
アッコ姉から聞いたよ、九十三歳大往生を。
「お母ちゃんなー、穏やかなええ顔してたで。なんか笑てるみたいやったで」って。そして「最期は眠るようやったで……」と。
翌年六月、私は脳卒中で倒れた。
神経細胞壊死との熾烈なバトルは、生命力が勝り、この世に戻された。
「あんたが来るのはまだ早い、お母ちゃんが引き戻してくれたんや」
そして、
「生かされたんやから、大事にしいや!」
アッコ姉の早口が、受話器から響いた。
それは、アッコ姉の口を借りた、あなたの声でした。
ありがとう、おふくろ。
今年古希を迎えます。
あなたの甘酸っぱい香りと温もりは、今もこの身体に宿っています。
あなたから授かった生命、そして生かされた命、大切にします。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。