おっかあ、「赤まんま」だぞ

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今は亡き母へ

背中が曲がったおっかあが、地面に顔をつけるように小豆を蒔く姿が、亡くなって十年も過ぎたのに、俺の夢の中で出てくるんだ。あの家の裏の狭い畑さ。駐車場にしたいと俺が幾度も頼んだのに、断固反対ののろしだ。

「小豆なんかスーパーで安く買えるぞ」と言って、おっかあは南無阿弥陀仏を唱え出した。化粧もしない日焼けした顔が、その度に無視を装ったよな。「絶対、おっかあの作った小豆は食べない」。そう誓ったはずなのに、おっかあの作った赤まんま(赤飯)は、実に美味かったよ。

「元気が何より」。近所のおっかあの友だちが、おっかあの畑仕事を励ました。確かにと俺の心は知っていたけど、一ヵ月の駐車場代は六千円もしたんだ。一年じゃ、七万円弱だ。小豆をそれだけ買ったら、どれほどの量になるか。算数ばかりじゃ、人生はつまらないと思うけど、安給料の俺からしたら、無駄な銭だ。

おっかあ、そんな口喧嘩が原因でか、秋の収穫前に脳卒中で倒れたのは。「来年の正月には、孫に飛びきり美味い赤まんまを食べさせてえ」と、今年の正月に約束してたな。俺は苦々しく聞いていたけど。

おっかあ、あの収穫は俺がしたよ。病院に入院しても、小豆のことばかり俺に聞いたよな。結局、駐車場にすることは断念させられた。おっかあ、悪いけど、主のいなくなった畑はほったらかしになった。雑草だけが自由気ままに生え、畑の存在すら忘れてしまった。

だが、おっかあよ。小豆ってすごい生命力があるんだ。雑草に負けないように、痩せながらも実をつけた。あれって、あの世からおっかあが植えた種と違うか。それで赤まんまを作った妻が涙を流すんだ。あれほど、嫁姑の仲が悪かったのにな。俺としたら、今さらながら、女どうしが解らないぞ。

どうした、妻の心の変化か。翌年、妻が畑を耕して、小豆を蒔いた。俺にも手伝えと命令する。何だか、おかしいじゃないのか。小豆の匂いは、おっかあの匂いと言い出す始末だ。「赤まんまは自分ちの小豆で作るのが最高だと初めて知ったわ。この家の女の役目かもしれない」。俺はその言葉に唖然としたよ。おっかあ、今年獲れた小豆で、赤まんまを作ったぞ。仏壇に供えた、その匂いがあの世まで伝わってこないか。少し豆の煮方が固いかもしれないけど、もう妻への愚痴はよそうじゃないか。

来年、子どもが結婚する。そのいいなずけに、今から小豆の作り方を妻が伝授している。おっかあはきっと大笑いしているな。我が家では、「赤まんま」が家宝になるかもしれない。おっかあ、毎年の小豆の出来を空の向こうから見ていてほしい。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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