ヨネックス創業者・米山稔さんお別れの会、帝国ホテルで開催。石川遼選手も参列

2019年11月11日に老衰のため95歳でご逝去された、スポーツ用品メーカーのヨネックス株式会社創業者ファウンダー名誉会長・米山稔氏のお別れ会が、2020年1月31日に帝国ホテル(東京都千代田区)本館2階の孔雀の間で行われました。主催はヨネックス株式会社。喪主を務めたのは、長男であり 同社代表取締役会長の米山勉氏です。

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コーポレートロゴのカラーで彩られた祭壇

ヨネックス株式会社のコーポレートロゴのコンセプトはブルー&グリーン。ブルーは大空、グリーンは大地をイメージしており、「国籍や、コトバ、顔つきが違ってもスポーツごころは同じ。ひとつでも多くの国と、ひとりでも多くのひととスポーツを通してふれ合いたい」という願いがこめられています。

米山氏の祭壇は、コーポレートロゴのカラーであるブルー&グリーンをコンセプトに、スプレーマム、ピンポンマム、アナスタシア、ソリダコ、デルフィニウム、ミリオグラタス、アセビ、カスミソウなど 、合計約4,300本のお花で彩られました。

プロゴルファー石川遼選手のコメント

石川遼選手は同社との縁が深い選手です。アマチュア選手として活動していた小学校4年生のときに初めて同社のクラブを使ったことから、クラブをはじめとする用具のサポートを受けてきました。また、2008年からの5年間は用具総合使用の契約を締結していました。

「自分が小学生だった頃、ジュニアゴルファーでモニター契約をしていた選手はいなかったと思います。若者だった自分がなにも知らない世界に飛び込んでいくなかで、ヨネックスさんにはいろいろとサポートしていただきました。本当にヨネックスさんだからこそ、あの時自分もやれましたし、そのままの流れでプロになることができました。まだまだやんちゃであまり周りが見えていなかった自分のわがままを聞いていただき、本当に感謝しています」

石川選手は同社の用具のなかでも、アイアンに深い思い入れがあるといいます。

「アイアンの『サイバースター』を小学校6年生頃から使っていましたが、軽量化したことで飛距離を得ることができました。当時はアイアンにカーボンという発想自体がなかったので、本当にすごいなと思いました。また、ヨネックスさんは発想がすごいだけでなく、製品をつくりあげるスピードも速い。お客さんがなにを求めていて、なにが喜ばれるのかがわかっていて、その精神がテニスラケットだけじゃなく、すべてに受け継がれているのだと思います。大変失礼ですが、いまさらながら(米山稔氏は)大変すごい方だったんだなと思っています」

写真・展示物とともに歴史を振り返る

懇親会会場には、ヨネックス株式会社にまつわる展示物や、米山氏の写真が多数展示されました。

株式会社ヨネックスの原点となった一台のモーター
1983年発売のカーボンアイアン
マルチナ・ナブラチロワ選手のサイン入りテニスラケット(R-22)・スノーボード初期モデルなど

写真提供: ヨネックス株式会社/取材・文:八木麻里恵

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