はじめてのお葬式ガイド
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終活や、参列のマナー、もしもの時におさえておきたいお葬式の知識など、はじめての方にもやさしく解説します。

平安時代の葬儀はどんなものだった?現代の葬儀の違いとは

平安時代は、1200年ほど前に始まり、400年近く続きました。さまざまな宗派の仏教が広がると同時に、文学、服飾、建築など文化的な発展も目覚ましい時代でもあり、今日まで日本人の感性や文化の中に残した影響は計り知れません。
そんな平安時代の葬儀とは、どのようなものだったのでしょうか。 ここでは、当時の葬儀について、現代の葬儀との違いも交えてご説明します。

平安時代の人々にとって「死」とは?

平安時代の葬儀の史料といえるものは特別に身分の高い人以外についてはほとんど残されていません。「源氏物語」のような文学作品の中で重要な登場人物が亡くなった際にも、遺体の処置や、葬儀の習慣についてはよく伝えられていますが、埋葬や墓に関する記述はほとんど見られません。

遣唐使の廃止により仏教が日本独自の発展を見せはじめた平安時代は、日本人の死生観が大きな転機を迎えた時代でもありました。しかし依然として「死」は穢れとされ、人が亡くなるところに居合わせたり、亡くなった人に触れたりすることは忌み嫌われることでした。

埋葬後についても、現代のように遺族がお墓を大切に手入れしたり足繁く墓参に訪れたりということはまれで、よほどの事情がない限りお墓参りはしないのが一般的だったとか。 身分の高い人でも、死後年月が経過すれば墓所を訪れる人もなく、草木で覆われ荒れ果てたまま放置されていたそうです。ある意味、過ぎ去った死に触れることも忌まわしいこととする、平安時代の人々の「死」への恐れのようなものが垣間見えます。

平安初期の律令の細則である『延喜式』には「死」を穢れとする意識が強く見られ、その穢れへの対処法なども示されています。死者が出た場合は、関係のない者は遺体に触れない、また触れた場合は、一定期間は他人に接することを避け、清めを行うという慣習があったとされます。

平安時代の臨終の迎え方と納棺

「死」を穢れとし恐れていた平安時代では、宮中や貴族の家において、まもなく死期を迎えようとしている人が、家の外に出され別宅などで息を引き取るということは、ある意味で当然のことでした。また、今日まで伝えられているさまざまな文献や文学作品を紐解いていくと、平安時代の貴族にとっては、旅立ちの時をいかに美しく印象的に迎えるかが、とても重要だったことがわかります。

「辞世の句」が本格的に流行しはじめるのは続く鎌倉時代からのことですが、平安時代でも既に、清少納言が仕えた中宮定子や末期の武将・平維盛などが有名な辞世の句を残しています。

さて、いざ誰かが亡くなると、葬儀に先立ち行われるのが納棺です。その際、あらかじめきれいにご遺体を清めてから納棺していたということですから、これについては現代に通じるものがあります。

特に身分の高い人が亡くなった場合は、納棺や葬儀の日取り、埋葬される場所などについては、陰陽師に伺いを立てて決められました。今でも一般的に六曜の友引の日には通夜や葬儀を避ける風潮があります。やはり少しでも忌みを免れ、つつがなく弔いたいという気持ちは、今も昔も共通しているようです。

平安時代の葬送

平安時代では、皇族や僧侶のようなごく身分の高い人々の間で火葬が広まりはじめました。その背景には、仏教の死生観が関わっているといわれています。ご遺体を北枕で安置するなど現代に通じる風習の多くが既に見られはじめています。

ある程度身分の高い人の場合、自邸で儀式を行った後、正門以外から出棺し、荼毘に付す場所まで葬列を組んで遺体を運びます。葬儀の参列者は地味な服装を着ていたといわれます。

荼毘に付す前にはもう一度儀礼が行われます。これらの儀礼はすべて僧侶と読経を伴って行われました。

火葬をする際は、現代と違い一晩以上かけて行われました。現代のように即座に強い火力を得ることが難しかったことが理由ではありますが、そもそも貴重な薪を大量に使う火葬自体が、当時としてはまさに選ばれた立場の人にしか許されない贅沢な送り方だったようです。

火葬が広まったばかりの頃は、遺体を荼毘に付すことに抵抗があったことや、また、本人が生前に希望しない場合などは、特権階級においてもまだ、火葬と土葬の両方が行われていました。

一方、火葬はもとより個別の墓所を得ることすら難しかった庶民の間で一般的だったのが「風葬」です。

風葬は、遺体を埋葬せず、野ざらしにして風化を待つというやり方で、平安時代の京都では特に郊外の化野(あだしの)、鳥部野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)などでよく行われていました。

しかし、真言宗の開祖・三筆の一人である空海が都を訪れたとき、化野の地で野ざらしにされている無数の遺体を哀み、また疫病発生を抑止するためにそれら遺体を埋葬し、庶民に土葬を教えたといわれています。

平安時代の墓所と法要

火葬にされた貴族などの遺骨は、その後10日間ほど寺院に安置された後、陰陽師からの託宣に従って建てられた墓所や納骨堂に納骨されるのが一般的でしたが、一部皇族や貴族の中には「高野納骨」という方法を希望する人もいました。

これは、生前に希望を遺し、仏教の聖地である高野山に遺骨や遺髪を納めるというもので、今でも金剛峯寺・奥の院に続く参道には数多くの皇族・貴族の墓が残っています。いずれにせよ、没後四十九日と一周忌の法要の後は、現在のような回忌法要を行う習慣はなかったようです。

まとめ

仏教の浸透と共に火葬の習慣が少しずつ広がりながらも、風葬や土葬など、現代の日本にはない弔い方もまだまだ多く行われていた平安時代。葬儀の歴史を知ることで、はかなくも大切な命の弔い方について今一度考えるきっかけにしていただければ幸いです。

また、もし葬儀についてお困りのことなどがありましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

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