【終活映画】「遺された家族のため」でなく「与えられた時間を豊かに」。そんな終活ができそうな映画『運命は踊る』

終活シネマ 運命は踊る

今回は、2018年11月現在、公開中の映画をご紹介したいと思います。

運命はめぐる、巡り巡って運命の通り進んでゆく、まるでダンスのステップのように、踊るダンスのステップは、何度踏んでも元の位置に戻るように……。『運命は踊る』を鑑賞しました。

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“息子の訃報”という誤報が、家族の姿を浮き彫りに

突然にやってきた息子の訃報から物語は始まります。

すぐさまそれが誤報であったと知らされるのですが、息子を失った思いを感じた時から家族は互いの関係を強く意識してゆくようになります。

父親は訃報を告げにきて、すぐさま誤報を告げた担当者を許すことができません。息子が無事であることを知った安堵から母親は、そんな父親と気持ちのすれ違いを感じています。

一方で、国境線の番人として特に刺激もない日々を過ごす息子。

時折同僚に話す父親像は、冷静でもありひとりの人間として尊重もしている。でも、尊敬とは少し違う冷静さがありました。

戦地に赴くときに聞いた父親の若いころのエピソードも楽しく話し、その物語の結末を強いて求めることもしなかったという。彼の人生として、父親もまた、一人の男としての人生を完結しているように尊重をしてました。

ところが、「息子を返せ」強く求めた父親に応じるように、戦地から帰路に就いた息子を事故が襲います。今度は本当に亡くなってしまったのです。

その生を確かめたい強い思いが、死期を早めたようでもあり、二度目の訃報、本当の息子の死に遭遇した両親は、すでに普通の暮らしができないほどの痛みを抱えていました。

息子亡きあとの両親はお互いを頼りにしていたようでもあり、実は相手のことを冷静に分析もしていたようでもある。互いに互いのことを語れば何とも寂しくもあり、厳しい言葉のようでもあります。

息子、娘のことを話す時が安らぐ時でもある。

振り返る父は子供の誕生を救いのように受け止めた人生を過ごし、実は母からは、求めていなかった出産だったという言葉を聞きます。

それぞれにそれぞれのドラマがあって、そんな言葉の葛藤の中で、娘の存在が夫婦に落ち着きを取り戻させます。家族という繋がりの下で、運命による翻弄が落ち着こうとしています。

悲しくつらい映画化というとそうでもない、むしろ運命というものはどうあるのか、執拗に追いかけなくともなるべくしてなる時が来るというものだろう、そんな気持ちにすらなってしまいます。

人生の終焉を考えるより、人生のドラマを感じる

映画は、息子の訃報から始まり、両親それぞれが人生の振り返りの時間を得て、またそこから二人にドラマが生まれるのです。訃報にせよ、誤報にせよ、その時の思いはそれぞれにあることをふと思い出すことができる映画です。

そんな風に考えたら、人生の終焉をどう考えるかというよりも、人生のドラマを感じることで、周囲をしっかりと受け止めることができたり、少しだけ優しくなることができるかもしれません。

「私が死んだら遺された家族のために……」などと考えるよりは、いつかは亡くなるこの命だから、運命に任せてそれまでの時間、大切な人と豊かな時間を作ろうじゃないか。

そんな終活のスタートを切ることができそうです。

右に左に、後ろに前にと、それぞれのドラマは踊りだし、やがては、遺された家族の再生の場となるのでしょう。どんなに紆余曲折に踊りだした人生でも、その先にまた進むのだと強いメッセージをもらったような、不思議な映画でした。

今回ご紹介した映画

公開:2018年9月~ 公開中

監督:サミュエル・マオス

出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ、ゲフェン・バルカイ、デケル・アディンほか

この記事を書いた人

尾上正幸

(終活映画・ナビゲーター / 自分史活用推進協議会認定自分史アドバイザー / 株式会社東京葬祭取締役部長)

葬儀社に勤務する傍ら、終活ブーム以前よりエンディングノート活用や、後悔をしないための葬儀の知識などの講演を行う。終活の意義を、「自分自身の力になるためのライフデザイン」と再定義し、そのヒントは自分史にありと、終活関連、自分史関連の講演活動を積極的に展開。講演では終活映画・ナビゲーターとして、終活に関連する映画の紹介も必ず行っている。

著書:『実践エンディングノート』(共同通信社 2010年)、『本当に役立つ終活50問50答』(翔泳社 2015)

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