「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

母への手紙

「ただいま」は、花いちりんと

野村 みさこ(大阪府大阪市)64歳

母さん、母さんの姿が、私の眼には見えなくなってから九年が経ちました。
あの瞬間、母さんは、私を一人置いて、どんどん、どんどん遠くへ行ってしまうのだと思いました。
一年が経ち、二年三年と、時と共に母さんは、遠くへ、遠くへ行ってしまった気がしていました。
でも、四年目が来る頃、ある時、母さんは立ちどまってくれましたね。
そして、こちらに向きなおり、あの懐かしい笑顔。はっきりと、この胸で感じました。
その時から、私に向かって、日々、近くに、近くに、やってきてくれました。今では九年前、それ以前と同じように、二人いつも一緒ですよね。本当にありがとう。母さん。
当時、「母さんの死」、という事実と言葉を、どうしても受け入れる事が出来ず、私には、悲しみの感情しかありませんでした。他の感情は皆無でした。
三年半が過ぎた頃、私は手術が必要な病気になり、一人で長時間の手術を受けました。
「手術が必要」と、ドクターに告げられた時、もしかしたら母さんに会えるのでは、と淡い期待を抱いだいたのですが。しかし、手術開始から四時間後、名前を呼ばれ麻酔から目覚めました。夢もみませんでした。母さんも会いに来てくれませんでしたね。
入院中、体が少しずつ回復してゆくなかで、今までに感じた事のない感情が芽生えていました。不思議でした。小さな喜び。生きている、生きてゆく事の喜び。それは回復と共にどんどん大きくなってゆきました。
私って、身勝手ですよね。母さん。
あれだけ母さんのもとに行きたかった私なのにね。やはり人間は、生きている事が喜びなんだ。生きているだけで幸せなんだと、あの手術は、教えてくれました。
「そんな事、今わかったの」と、笑っているでしょう、母さん。「まだまだやね」って。
自分は生きている、生かされているありがたさを理解できた時、初めて母さんの「死」を理解し、受け入れる事が出来ました。
そして、乗り越えました。
いいでしょ、母さん。乗り越えても。
六十歳を前にして、私は働き始めました。パート勤務です。好きな絵も描く事が出来るようになりましたよ。母さん。安心してね。
初めて勤めに出た朝、玄関で「母さん、いってきます」。夕方には「母さん、ただいま」。五年が経ちましたね。
明日もまた、元気に「いってきまぁーす。母さん」。そして夕方には「ただいま。母さん」。


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