「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

祖父への手紙

じいちゃんへ

田畑 恵梨(神奈川県横浜市)27歳

じいちゃんとお別れしてから、三週間が経ったね。
じいちゃんが、肺炎で意識が無く病院に運ばれた時、
「もう話す事も出来ないんだ」と病院に行ったけれど、
じいちゃんは、奇跡的に意識を取り戻して、私の顔を見て、手をぎゅって握って、顔をくしゃくしゃにして、
「恵梨、恵梨」って呼んでくれたよね。
とても嬉しかったし、安心したんだ。
でも、じいちゃんの顔見た時、なんで元気なうちに、もっともっと会いに来て、想い出たくさん作らなかったんだろって、後悔と申し訳ない気持ちで、いっぱいになりました。
それでもじいちゃんは、精一杯一ヵ月間頑張って生きてくれたね。
本当にありがとう。
小学校までは、一緒に住んでいたから、暑い日は同じ帽子をかぶって、畑ごっこ。大工ごっこ。冬はたくさん厚着をして、自転車でサイクリングコースを走り、新幹線が走っている所をゴールにして、新幹線来るのを待って、写真を撮って帰って来るのが恒例だったよね。
じいちゃんは、写真やビデオを撮るのが好きだったから、アルバムも、ビデオテープも、たくさん残してあって、今でも皆の宝物だよ。
じいちゃんが亡くなってから、いろんな人に、今まで聞いた事がなかった、苦労した話、ものすごい努力家だった話を聞きました。
難しい漢字や、色々な事を知っていて、字も上手で、よく手紙送ってきてくれてたけど、それも自分で夜中に勉強して、色々な知識を習得してたんだなと思うと、本当に凄い努力家だったんだなと感じました。
最後の一ヵ月、何も食べられなくて、あんなにやせてしまったのに、唯一手だけは、ごつごつして昔のまま大きくて、たくましかった。
今思うと、あの手は、一生懸命家族を支えて、生きてきた証だったんだなって思った。
本当にかっこいいなって思った。
じいちゃんは最後の最後までおばあちゃんの心配していたね。
本当に「ケンカする程仲が良い」って言葉がピッタリの、仲良し夫婦だったよね。
じいちゃんとおばあちゃんのコントみたいなケンカ。思い出すだけでも笑えてくる。
あんな風になりたいなって、いつも見ていたよ。
おばあちゃんも、じいちゃんが旅立ってから、さびしいと思うけど、毎日頑張ってるよ!
心配しなくて大丈夫だよ!
大好きなおばあちゃんに早く会いたいかもしれないけど、そっちの世界で、ずーっと楽しくおしゃべり出来るように、想い出たくさん作って、みやげ話いーっぱい持たせてあげるから、気長に待っててね。
じいちゃんと過ごした最後の一ヵ月は、死に対する悲しみやつらさを少しずつ受け入れられるように、頑張ってくれたんだなと思うと、涙は流さないで、前向きに皆で生きてゆこうと、思えました。
最期の時、いっぱいありがとう伝えたかったけど、亡くなる事、悟られるのが悲しくて言えなかった。
いっぱいいっぱいありがとう。じいちゃんの全てに対して、ありがとう。
あの写真みたいに、いつもの優しい目で、皆の事見守っていてね。
またそっちの世界で家族になろうね。

恵梨


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