「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

父への手紙

清貧に生きたる父へ

齋藤 大仙(埼玉県秩父市)76歳

今年の冬、秩父は未曾有の豪雪に見舞われた。
連日、雪掻きに明け暮れたが、その間私は、ずっと亡くなった父のことを思い続けていた。
父の亡くなった日も、葬儀の日も、前日からの雪が未明まで降り続き、大雪となった。葬儀の日には、地域の人々が、父の人柄を偲びつつ、総出で除雪をしてくださった。
 大雪の大寒の朝父逝きぬ不肖の我の試練始まる
父は寺の住職だった。その傍ら、民生委員・教育委員等の役職に就き、地域のために貢献してきた。
そんな父の存在が大きかっただけに、後を継いで住職となっても、至らぬことばかりで、さらに、三人の子供が成人するまでの十年間、中学校教師との二足の草鞋を履く身となり、大変な日々が続いた。
その後、地球の温暖化が進み、大雪が降ることは少なくなったが、冬になると、山の中腹にある父の墓からは、正面には雪を被った武甲山が聳え、遠く、雪の秩父連山を一望出来た。

叱られし記憶無き父雪嶺に対峙する墓何を語るや

父は決して無口ではなかった。むしろ話し好きだった。しかし、私には多くは語らず、叱られた記憶も無かった。人並みに反抗期もあった私だったが、大きく脱線しなかったのは、父の生き方を見て育ったからかもしれない。
父の一生を表現するなら「清貧」の一語に尽きるような気がする。 
国中が貧しかった戦中戦後は勿論、バブルの時代になっても、その姿勢は変わる事はなく、慎ましく、慎ましくという生活だった。
「私のような者が寺の住職として一家を養ってこられたのは、多くの皆さんのお陰、そして何よりも、お釈迦様のお陰だ」
それが父の口癖だった。

 清貧に生きたる父の歳を生き日々思い知るその難きこと

父が亡くなってから三十年、私も父の亡くなった歳となり、父のもとに旅立つ日も近い。父の一生には遠く及ばないけれど、あの世で父と会った時に、恥ずかしくない生き方をしてきたつもりだ。
父よ、まだ足りないところがあったら、夢の中で良いから、私を叱って欲しい。
その言葉をもとに、これからも、残された人生の中で、精一杯精進しようと思う。


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