「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

父への手紙

父への手紙

原 忠男(東京都稲城市)70歳

私の父は私が生まれた昭和十九年四月十三日から二週間後に出征し、そしてその年の秋フィリッピンのレイテ島で戦死しました。
ですから、私は父とは、話したことも見たこともありません。
満州から引き上げてきて、母は私や自分の両親を養うため東京に働きに出ましたが、 戦後の混乱期に女性の働く職は限られており、もともと体の丈夫でなかった母は結核に侵され、私が小学校三年の時に天国に旅立ちました。
私はひとりっ子で、父母もひとりっ子のため、私には兄弟やいとこさえもいませんでした。でも決して私は不幸ではありませんでした。いやむしろ幸せに育ったと思っています。
両親からの直接の愛に触れるチャンスは少なかったですが、代わりに郷里の熱海で養父母となった祖父母に愛情いっぱいに育てられました。
そして私もいつしか成人し、結婚もし、子供も三人授かり、孫も二人目が生まれ、幸せに暮らしております。
私は物心ついたときから、このような環境に育ったせいか、祖父母の影響か、毎朝仏壇に向かい亡くなった両親や祖父母に感謝のお祈りを行っております。そして奇妙なことですが、私が今まで著名な易者の方に三人に診てもらったことがありますが、三人とも同じことを言われました。
“貴方は信心深く、ご両親やご先祖様に守られている”と。私が何も生い立ちなど話していないのに……。
これは見合い結婚した家内も、結婚前に私の写真を持って易者に診てもらったら、“この人は両親並びに先祖の霊に強く守られている”と言われたそうです。
また、先月も私の仕事の関係の先輩の「米寿のお祝い」があり、私も世話人としてお手伝いさせて頂きましたが、先週お宅にお邪魔して、昔の思い出話をして帰りがけに、“君の今日あるのはご両親とご先祖様のおかげだよ”と言われて、又、両親のことが思い出され、“ああそうだなあ”とありがたく思いました。
私もいつしか父母の歳を足したよりはるかに年長になりましたが、私のなかではいつまでも昔のままの若い父母です。
仏壇に飾られている写真はその若いころの両親の写真です。
この写真を撮った三日後に父は出征したそうです。
私は父に関しては認識もなく、残されたのはわずかな写真と母に宛てた手紙の一部ですが、それを見るたびに母に対する思いやりに泣けてしまいます。
私はこのような素晴らしい両親の子として生を受け、本当に幸せで、誇りに思っております。
今は毎朝の仏壇の前でのお祈りしかできませんが、天国に行けば、戦争もなく、父母と一杯話が出来るのではと思っております。


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