「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

子どもたちへの手紙

頑張る優しい人

志津江(東京都八王子市)77歳

ユタちゃん 両親に逢うこと出来ましたか。
八年前に帯状疱疹が現われ痛がっていましたが、原因が他にあるのではないかと他の科をたずね、腎臓内科で様々な検査をする間、帯状疱疹の治療は中止だったのか、体を丸めて耐えていましたね。腎臓、左足の細胞を採取していたずら者の〝アンカ”を左足からみつけ出して、ようやく薬が決まり、三ヵ月で退院できました。
あなたは、片手に薬をのせて「俺は薬で生かされているのか?」と言いました。
「それは違う。先生方が種々の検査の結果決定してくれたもの。小さな粒を飲むだけで元気に成れるのは幸せなことでしょう」と一生懸命何回も言った事を覚えています。
病状が安定して来ている今、足が動く今、と考え、バス・飛行機・新幹線等を利用して旅行し、歩きました。
病気の事は周りにも言わず、本人とも話題には特にせず、普通の生活を守りました。
私自身が〝治るんだ、治すんだ”と心を強く持つことに決めました。唯一度、長崎の大浦天主堂のロザリオの前で、〝夫が病気なんです。介護する私を一日でも元気で長生きさせて下さい”と願いの手を合わせた事があります。
四回の入院でしたが、元気になって退院できたので、五回目の入院も自分では心配はしていなかったかもしれません。でも、ユタちゃんの努力をいくらプラスしても病魔はおさえられなくなっていました。
八月二十八日、入院。
九月二十二日、「そばに居てあげなさい」と医師に言われ、退院。
子供の家族、親戚の皆々様、医療チームの方々にもお世話になり、足がしっかりして元気になったと感じました。
けれど少し笑わせようと、「ユタちゃん、こちょこちょ」と体のあちこちくすぐってみても「くすぐったいな、やめろ」のいつもの声はありません。
足もだるいだろうと貼り薬をベタッと貼っても「冷たいな! ヒェ!」の声もありません。貼っても剝がしても「やめろバカ」と体をよじる反応もありません。薬を一粒ずつ時間を置いて、その前に流れ込む様な食品を口に入れ、「薬を飲んでね」というと、口は大きく開けてくれます。治そうと一生懸命でした。
再入院した折、お医者さんに「体力が有るな」と言われました。その都度頑張って努力してくれたという事かな。
ここに引越してから約三十年間、五月四日の誕生日を子供の日と合わせて、皆で集合して食べたり飲んだりカラオケで歌ったり過ごしていました。その年も、六ヵ月前に二十九名でお祝いし、バースデーケーキを三個プレゼントされ、元気にしていました。
今、その喜びの笑顔もなく横になっています。
孫は、一年前に父方の祖母を亡くし、今度は母方の祖父を亡くし「イヤだよ」「淋しいよ」と泣きじゃくります。遊び仲間のいとこ達五人が泣き出し、悲しみに更にしめやかさを加え、棺の中に折紙や手紙、花を飾り入れてくれました。
外国旅行の折のピストルの実弾成績表と、私は共に行くわけにはいかないので、お寺さんから頂いた経本の写し二冊分と編んだぞうりを入れました。使用禁止していた杖も入っていますので、折りにふれ使って、ご両親の所へ行って下さい。
現世の修業八十二年六ヵ月間が終了して、ユタちゃん自身が選んで自分の父の命日(八十年も前の)十月二十七日に、仏様のもとへ旅立ちましたね。静かに旅立ちましたね。
家族を守ってくれて感謝いたします。
孫が納骨の折や一周忌の供養で、涙して小さな胸を痛めてるのを見ると、ユタちゃんの優しさそのものを感じます。
ありがとう。
今度は八十年振りにご両親に甘えて下さい。おつかれ様でした。


夫への手紙一覧に戻る