「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

祖母への手紙

待ち合わせ

武友 美登利(和歌山県和歌山市)46歳

“岩菊ばあちゃん。やっぱり仏壇って、要ると思うわ”
お供えしながら、私は心の中で話しかける。
岩菊ばあちゃんの生涯は、波乱万丈だ。
病気がちな夫に代わり、男と同じだけの農作業をこなした。
それでも、貧しかった。
そのうち、会社の経理を手伝ってほしいと、親戚から声がかかり、満州に出かせぎに出たそうだ。
日本を留守にしたわずか一年の間に、夫は博打にはまり、田畑は次々に売り払われた。
噂を聞いて、あわてて帰国した直後に夫は亡くなり、あとには借金と、娘だけが残った。
待ち合わせ
やがて娘は養子を迎え、二人の子どもを授かる。が、戦争は容赦なく、まだ若い娘夫婦の命までも奪った。
遺された孫たちだけが、岩菊ばあちゃんの、たった一つの希望になった。
それが私の父と叔母だ。
今度は孫を親がわりに育てることになった岩菊ばあちゃんは、ある朝、仏壇を縄でぐるぐる巻きに縛ったという。
そして言った。「生きてるモンが、先」と。
それから何十年もたって、田舎でひとり暮らしをしていた岩菊ばあちゃんは、わが家で同居することになった。
一緒に暮らしてみてわかったのだが、岩菊ばあちゃんは、とても進歩的な人だった。
百貨店や一流ホテルにも気後れせず出かけるし、初めて食べるナポリタンにも、「ほう? 赤いうどんやな」と目を細めた。
お酒で気分が良くなるとすぐ歌いだし、当時、子どもの仕事だった仏壇へのお供えをしようとすると、
「忙しいのに、やめえ。だーれも文句なんか言えへんで」
なんて言っていた。
そのくせ自分は毎朝、近所の寺社に出かけては、草むしりをしていたのだが。
ひと一倍苦労をした分、ひと一倍長生きもし、死ぬ間際は、ずいぶん痴呆の症状が進んでいた。
それでも、ふっと記憶がつながる時があるようで、母に、
「あんた、ええ人やなァ。うちの孫の、嫁に来てくれんか? ほんに、ええ子やで」
などと父を売りこみ、世話する母を泣かせた。
名前の通り強く、美しく生きて、岩菊ばあちゃんは逝った。
チンチーンとお鈴を鳴らす。
「岩菊ばあちゃん、元気?」
なんだかおかしいけれど、うちの家族はみんなそう言って、仏壇の前に座る。
こっそり、愚痴も聞いてもらったりする。
ここは岩菊ばあちゃんとの、大事な待ち合わせ場所なのだ。
“いろいろあるけど、みんな元気にやってるよ”
明日もわたしは、同じ言葉を思うのだろう。
そしてそれが、岩菊ばあちゃんが私たちに遺してくれた、最高の幸せなのだろう。


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