「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

父への手紙

父さん、一杯もらえるか

石沢 由彦(青森県黒石市)48歳

七十四歳の体に鞭打って、細々と商売を続けていた父の唯一の楽しみは晩酌でした。
乗り古した車で、朝から晩まで配達に駆けずり回っていた父。その疲れを癒すように静かに呑んで床に入るのが常。
二十四年前、二十四歳の私は、せめて食卓に酒の肴を並べようと決めました。
台所に立ったことは殆ど無く、出来合いを嫌う父が好むものを少し作るだけで精一杯。支度の途中で食欲を無くし、食べずに隣に居るだけ。無口な二人の食卓は静かな時間でした。
後片付けを済ませると急に空腹に襲われて、父の寝息を気にかけながら冷蔵庫を漁る……。そんな生活が結婚までの二年間続きました。
そして、孫の誕生を見届けた年の初冬、父は静かに逝きました。
父さん、皮肉なものですね。二人きりで過ごした時に話すことは無かったのに、亡くなってからはいつも貴方に語りかけています。
仕事、病気、子育て……。守るべき大切な家族を持って、貴方の辛さを慮ることができました。
年を追うごとに貴方の存在が大きくなります。
あの頃の貴方は苦しみが幾重にも重なって、心も体もボロボロでしたね。
二年前に母さんに先立たれ、家事一切を賄っていた姉が嫁ぎました。就職したての私は、まだ頼りなくて、儲けの殆ど無い商売でも閉めることもできない。
数年後に亡くなることを考えれば、既に癌は老体を蝕んでいたに違いありません。
それなのに貴方は、私に愚痴や不満を口にすることなく悠然としていました。
貴方とすれ違うように生まれた長男が二十歳になりました。少しずつ大人へと近づく息子と向き合いながら想います。
父親は永遠に頼られる存在でありたいと。
そして、父子だから言えないことや男同士故に通じることがあることを。
私に弱音を吐くことは、生きるために張り詰めた糸を自ら断ち切ることだったのではないでしょうか。だから、何食わぬ顔で、苦しみや葛藤を酒に溶かしていたのですね。
貴方は、本当に強い父でした。
息子が酒を呑める年になった今、あの頃の貴方の心情に想いを巡らせて後悔しています。
隣で一緒に呑めば良かったと。グラスを差し出してひと言かければ良かったと。
「父さん、一杯もらえるか」


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