「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

母への手紙

天国のお母さんへ

後藤 次郎(徳島県徳島市)69歳

お母さん、一緒に暮らした時が少なかった分、お母さんへの思いは強くなったのだよ。
六歳の時、父が死に、叔父に預けられ、ぼくは笑う事も喋る事も出来なくなったけど、寝る時は「お母ちゃん」と呟いていたよ。
五年後、引き取られ、毎日、「お母さんと呼んで」と懇願されたけど、ぼくは応えられなかったね。
半年が過ぎた頃、やっと小さな声で「お母ちゃん」と呼べたね。
毎晩、布団を並べてぼくに、これまでの人生を話してくれたね。
でも、幸せな時は短かったね。
ぼくと暮らす為に始めた菓子店が二年半で倒産し、借金を抱えて生活保護家庭になったね。
お母さんは割烹旅館で働くようになり、ぼくは帰りを待ちながら夜の十二時頃まで勉強していたのだよ。
お母さんは十歳で住込み奉公に出され、家庭を持ってすぐ、父を結核で失ったね。
ぼくは高校へ行きたかったけど、先生から「早く働いてお母さんを楽にしてあげなさい」と言われ、大阪の鉄工所へ就職したのだよ。
ぼくは勉強したくて、一年半で鉄工所を辞め、経理学校へ入学し、定時制高校へ通ったよね。大学受験はお母さんに黙っていたのに、合格通知で知れてしまったね。
大学時代はお母さんへの強い思いがぼくを支えてくれて頑張れたのだよ。
国家試験に合格して帰ると、「やっと高利貸しの借金を払い終えたよ」と聞き、ぼくは知らなかったよ。あれから十三年間払い続けていたのだね。
大学卒業六年後に徳島で開業し、お母さんのために家を建てたのは、六畳一間の借家生活をしていた中学時代の約束だったのだよ。
その十年後、ぼくの誕生日一月十八日に、お母さんは六十五歳で肺癌で亡くなってしまったね。
ぼくは葬儀から一ヵ月で七キロ痩せたよ。
命日を迎える度に、「どうしてぼくの誕生日に死んだの」と問い続けているのだよ。
お母さんが死去してすぐに、庭の楓の大木が倒れたよ。前年、「黄葉が綺麗だね」とお母さんが気に入っていたから哀しい心情に駆られたよ。でも、春先になって楓の子供が庭中に芽を出したのだよ。今では大きくなり美しい黄葉が見られるようになったよ。
凍結していた魂を、寝る時に話をしながら、優しい温もりでほぐしてくれたお陰で、ぼくは復活出来たのだよ。天国のお母さんありがとう。


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