「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

祖父への手紙

八十八年間おつかれさまでした

菅村 有希子(熊本県天草市)30歳

大正・昭和・平成と、三時代をだれもが認めるたくましさで生き抜いてきましたね。
私はそのうち二十四年間を一緒に過ごしてきました。
じいちゃんの子供は息子三人だったためか、孫娘の私にも相撲をして、将棋を指し、碁石で遊び、男の子と同じように面倒を見てくれました。つかみあって喧嘩をしたのは私くらいでしょうか。おかげで男勝りな性格になりました。
幼稚園の帰り道、自転車の後ろにのせてくれ、田んぼを見ては「お米いっぱーい」、信号停車で並ぶ車を見ては「車いっぱーい」と、たくさんの言葉を教えてくれました。おかげでこんなにおしゃべりな孫娘に育ちました。
「ぽっぽのおうち」「箱根八里」しか弾けなかったけど、私が歌えるようになるまでエンドレスで弾き語りをしてくれました。おかげでカラオケではマイクを離さない孫娘に育ちました。
学校から帰ると毎日やかましく宿題の指導をしてくれました。夏休み、習字の宿題は、合格がでるまで書き続けました。この勇ましい字の書き方はじいちゃんゆずりだと思っています。
運動会は必ず見に来て、授業参観は親より先に登場し、ある日校長室でお茶を飲むじいちゃんを見てびっくりして知らないふりをしました。校長先生に案内されるじいちゃんをみて「何者だ?!」と教室は大騒ぎになりました。おかげで「ゆっこのじいちゃん」は私の友達みんなが知っています。有名人でした。
声の大きいところ、歌の好きなところ、運動の好きなところ、よくしゃべるところ、考えてみれば私にはじいちゃんゆずりのところがたくさんあるかもしれません。一つだけ、頑固さだけは似ないようにします。
そんな私も、じいちゃんと同じ職業に就きました。偶然にも、ひいじいちゃんが校長を務めた学校に勤務しました。
赴任が決まり、報告に行くと喜んでくれましたね。四月から正式採用です。
試験に受かるまで、見届けるために今日までじいちゃんは待っていてくれたんですね。
じいちゃんが、「希望の有る子に育て」とつけてくれた名前のように、希望を持って頑張っていきたいと思っています。
じいちゃん、そちらに先に行ったばあちゃんとはもう会えましたか?
どこかで寄り道をして話しこんではいませんか?
じいちゃん今までありがとう。
安らかに眠り、また、そちらで、ばあちゃんと仲良く過ごしてくださいね。
八十八年間お疲れさまでした。
有希子より


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