「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

友への手紙

元日本兵の許昭栄さんへ

上田 真弓さん(52歳) 千葉県成田市

許昭栄さん、あなたが亡くなったのは四年前のことでした。 その半年前、私は知り合いの紹介で初めてお会いし、貴重なお話を伺いました。台湾が日本の領土だった昭和三年に生まれ、お父さんが「昭和の日本が栄えるように」と願って、昭栄と名付けられたと教えてくれました。戦争中に志願して日本海軍の兵士になり、戦後は大陸からやってきた国民党の中国人によって元日本兵の台湾人は国民党の兵士にされ、共産党との戦争に駆り出されて多くが戦死したと話してくれました。

運よく台湾に帰ってくることができたあなたは、大陸で亡くなった元日本兵台湾人のために、高雄市に直談判して提供してもらった土地に私財を投じて慰霊碑を建てました。この地を「戦争と平和記念公園」と名付け、私財をなげうって慰霊のための公園を造っている最中でした。あなたは「戦争で亡くなった兵士たちの慰霊は、国がやることです。しかし日本の政府も台湾の政府も、台湾人の元日本兵に対して無関心で、何もしてくれません」と言って嘆いていました。一緒に慰霊碑の前で、亡くなった元日本兵の台湾人たちのご冥福をお祈りしたことが、今も忘れられません。その半年後の二〇〇八年五月二十日、あなたがその慰霊碑の前で、ガソリンをかぶって焼身自殺したという衝撃的な知らせを受け、とても信じられませんでした。あなたの活動に反対する人たちに妨害され、公園の名前を変えろと強要されたり、国民党の中国人兵士も慰霊しろなどと無理な要求を突き付けられ、あなたが造りたい公園の建設が困難になり、自らの命をなげうって抗議したそうですね。衝撃的すぎて、私は絶句しました。あなたの死を伝えた日本のマスコミは、ほとんどありませんでした。日本を愛する元日本兵の嘆きと叫びが日本に伝わってこない現実に、私は憤りと悔しさでやりきれない気持ちでした。

それから一年経った二〇〇九年五月初旬、高雄市の市長から、あなたの命日の五月二十日に「戦争と平和記念公園」で行われる追悼会への招待状が届きました。あなたの追悼会を、高雄市が主催することになったのです。私はどうしても都合がつかずに行けませんでしたが、出席した知り合いに写真を見せてもらいました。きれいな公園が完成し、あなたが建てた慰霊碑を中心に、あなたの記念碑や、元日本兵の悲劇を説明する立派な展示館が建っていました。

許昭栄さん、あなたの声は届きましたよ。あなたの願いは叶いましたよ。


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