「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

友への手紙

浜っちょ、棺の中で聞く歌

左京 静乃さん(64歳) 愛知県名古屋市

昭和三十年代半ば、
伊勢湾台風の傷跡もまだ癒えぬ
名古屋市近郊の田園風景の中の中学校に、
ピアノが得意で、数学と音楽を教える
通称〝浜っちょ〟と呼ばれる二十九歳の熱血教師がいた。
ヤのつく自由業の人顔まけの凄みのある風貌と
廊下の端から端まで響くしわがれ声で
行儀と挨拶に厳しく、いつも生徒の誰かを注意している。

どこの学校にもいる不良少年たち。
十人ほどで群れていた彼らは、
弱い者いじめは何よりも卑怯だと知っているから

いじめは絶対にしない。
授業の妨害もしないが、教室から出て行ってしまう。
学校にいれば教師の目が届くが、街へ出てうろついていたら、
ある種の人たちが、彼らを引きずりこもうとする。
接点を持ってしまうのが怖い。
浜っちょは、不良少年たちに
サッカーを教えたがまだ誰も知らないし、
サッカーボールもゴールネットもありはしない。
バレーボールをチョークで書いた半円に入れるだけ。
それでも、蹴る、というのが、よほど面白かったのか
彼らはすぐ夢中になり、毎日ボールを蹴っていた。
自分たちと真剣に向き合ってくれた浜っちょに、
夢中になったのかも知れない。

高校入試間近の三年生の音楽の授業で突然、
『浜辺の歌』をぜんぶ暗記してこい。
ひとりずつ歌わせると言う。
生徒のブーイングなど完全無視。
ところが、入試問題に
『浜辺の歌』の譜面がそのまま出題されて、
生徒は感謝することになる。

だが、中学校卒業の五年後、
衝撃的なニュースが私たちの間を走った。

浜っちょ、三十四歳、ガンで死す。

二月の寒いみぞれ雪の降る日。
浜っちょの棺にすがりついて離れない
かつての不良少年たちの号泣する姿は
いつまでも脳裏から消えない。

国家の威信を賭けて、
世界中が熱狂するサッカーW杯。
美しい緑の芝生に浜っちょを立たせてあげたい。

『浜辺の歌』
棺の中で聞いてくれましたか?

三十数年の歳月のあと、
偶然、パーティで同席した浜っちょの妹の告白、
「兄の死は初診が誤っていたのよ。
兄が可哀想で仕方がないわ」
初めて知った真実に
その場にいた者たちはみんな絶句。

浜っちょ先生、
もういちど逢いたくてたまらない。


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