「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

母への手紙

毎年、葉桜になる頃

鈴木 晴彦さん(52歳) 福島県石川郡

母ちゃんが逝って二十三年になる。

命日は九月だが、思い出すのはいつも桜の季節だ。私が住む町には川沿いの細い道に約百本の桜の木が連なっているが、母ちゃんは友人が営む小さな居酒屋でしたたかに酔った後、提灯の淡い明りに照らされた満開の桜の木の下を鼻歌交じりで歩いて自宅に帰るのが四月の週末の恒例だった。家に着くと真っ直ぐ仏壇に向かい、父ちゃんの遺影に「いま帰りました。今年も桜が咲きました」と手を合わせ「チーン」とリンを鳴らす。そして小一時間、子供たちの成長の様子や日々の暮らし、会社での出来事などの報告が始まる。隣の部屋で寝ていた中学生の私は、「また始まった」とウンザリしながら布団をかぶって目を閉じたものである。

大工だった父ちゃんが亡くなったのは昭和四十三年四月で、母ちゃんはまだ三十五歳。母ちゃんに残されたのはわずかな家と土地、それに小学三年生の私を筆頭に一年生と保育所に通っていた二人の妹たち。父ちゃんが死んだ悲しみに浸る暇もなく子供を育てるだけの奮闘が始まった。小さな町工場に務め雀の涙ほどの給料で三人の子供を一人で養う毎日は、おそらく想像出来ないくらいの不安の連続だったろう。 それでも、記憶の中の母ちゃんは大体が陽気に笑っている。家族で鉄板を囲み母ちゃんが作ったリンゴとニンジン、玉ネギ入りの特製タレを付けて食べたラム肉、大相撲をテレビ観戦し一喜一憂しながら食べたカレーライス、ニンニクをたっぷり付けた旬のカツオの刺身を炊き立てごはんの上に載せて頬張っている私の姿―。ご飯を腹いっぱい食べさせ、私が「欲しい」と駄々をこねた五段ギアの自転車も、三段ギアになったがある日突然、買ってくれた。

私はあと五年で母ちゃんが亡くなった五十七歳を迎えるが、最近ようやく、当時の母ちゃんの「連れを亡くした孤独な思い」が少し分かりかけてきた気がする。子供たちに見せる笑顔の陰にどんな思いを抱えていたのか?父ちゃんの遺影に語りかけることで何を求めていたのか?子供を育てることだけに生きた母ちゃんは本当に幸せだったのだろうか―。

今年も桜の季節が訪れ、わずか二週間足らずでピンクの花びらが空高く舞って別れを告げる。短い時の流れの中で母ちゃんの在りし日の姿が鮮明に蘇り、走馬灯のように駆けめぐる。そして毎年、満開の桜が葉桜になる頃、「もっと母ちゃんが喜ぶことをして、何度もあの笑った顔を見たかった」という自責の念が私を襲う。


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