「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

母への手紙

本当にごめんなさい

上西 加代子さん(66歳) 滋賀県大津市

日本が戦争に負けなかったら、朝鮮で親子六人それなりに楽な暮らしが送れていたのでしょうね。引き揚げて裸一貫からの底知れぬ苦労をしながら、私達を立派に育ててくれて本当に心から感謝しています。

私は生後一ヵ月にも満たず、周囲の人達の言葉を跳ね除けてくれたんですね。「今ならこの子は目が見えてない、そっと海に流してやりなさい」と言われても、この子の命あるところまで連れて帰ると、父ちゃん、母ちゃんは自分達の苦労はいっぱいねじ伏せて、私を生かしてくれたんですね。私は死なずに今も生かされて、今更ながら本当に喜んでいます。

今も尚、詫びても詫びてもどうしようもなく涙が溢れます。反抗期の時とはいえ、私は言ってはならぬことを投げつけてしまいました。「なんで私なんか産んでくれたのよ。朝鮮から引き揚げる時、海に捨ててくれれば良かったのに」と。母ちゃんの無言のぞっとする悲しげな後姿、私は忘れません、申し訳ない気持ちで今も胸が痛みます。「本当にごめんなさい」。

「落ちぶれて袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知りけり」。肩身の狭い引き揚げ者の悲しみだったんですね。どんなに貧しくとも、心は常に豊かだった。多くの人達からとても尊敬される人だったこと、私はちゃんと覚えています。最高の両親の元で育ててもらったことが私の唯一の宝です。

「私の葬式の準備してー」。母ちゃんは危篤状態にありながら、酸素マスクを外して声を振り絞って私達に訴えたよね。そして最後の最後に、「ありがとう、幸せだった」とまで言ってくれたよね。なす術もなく号泣していただけだった私。どうしてそんなに毅然としていられたの母ちゃん。

私は心の空洞を埋めるため非力を承知で「母を詞う」を出版したよ。父ちゃんか、母ちゃんの縁りある人達に百冊送りました。新聞にも載せてもらったよ。私の人生で一番真剣に生きたような毎日で書きあげました。背中を押してくれたんですね。私がそちらへ参ります時、この本持って行きます。もう少しそちらで頑張ってねと、聞こえてきました。

毎月お墓参りして元気を頂いています。そして朝に夕に、感謝とお礼とお詫びで祈っています。


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