吉川美津子のお葬式あらかると

Vol.24 あれから一年…

まもなくあの時、3月11日から1年が経とうとしています。この1年は友人・知人、また初対面の人同士での会話の中でも、この1年は「あ2011/3/12 朝日新聞の時何してた?」が合言葉のように、繰り返されたものでした。
私は近くの税務署に行く途中の路上で、自転車を漕いでいる最中に最初の地震に遭遇しました。「電車の中だった」「食事中だった」「出張中だった」「歯の治療中だった」……など、それぞれのシーンの中で、その時にできるベストな方法を模索しながらあの日を過ごしたことと思います。

葬儀業界でも他の業界同様、被災地へ向けての支援活動が活発に行われていました。棺の提供があったことは各メディアで大きくとりあげられたとおり。「やっと支援物資が届いたと思ったら棺だった」などと、国の対応の遅さを皮肉って報道するメディアがあったため、それを読み違えて「葬儀屋はやはり下品だ」などの風評も少なからずありました。
被災地近郊の葬儀社は行政からの協力要請にともない、遺体安置所から火葬場、仮埋葬地への搬送や作業業務に携わっていました。さらにその作業をサポートすべく、全国から支援メンバーが集い、互いに利害関係の枠を超え、協力し合っていたものです。


震災では、多くの墓石も倒壊、または流されて被害を受けました。ある石材店では「電話が鳴り止まない」といい、またある石材店では「お盆まで、お彼岸までにはなんとかしたいと思っていたけれど、まだまだ落ち着きそうにない」と復旧の厳しさを語ります。最近では、慰霊碑の建立、計画も各地で進められていますが、それに向けては全国の各石材店が建立支援に名乗りを上げているようです。

3月11日には、被災地域のみならず、日本各地の寺院で法要が執り行われることが、各ホームページなどで公表されています。宗教者の活動は、教団として、寺院として、個人的になど、それぞれ形は異なっていますが、被災地で、または地元で、地道に活動している情報を多数耳に耳にしました。この震災の犠牲者のうち、身元の判明していないご遺体が東京の瑞江葬儀所で火葬された際には、門の外に多くの僧侶が有志で集まり、絶え間なく読経が流れていた光景は印象的でした。

あれから一年、メディアでの取材などを受ける際に
「震災の影響で変わったことはありますか?」
と、よく聞かれるようになりました。
「イザというときのために、身辺整理をする人が増えた」とか
「エンディングノートに注目が集まった」など言われているようですが、本当のところはよくわかりません。ただ、身辺整理をするにしても、エンディングノートを書くにしても、単に記録を残すという意味合いより、
「自分の未来に向けて、より豊かに生きるために夢や希望を整理をしておきたい」

と考える人が増えたような気はします。あくまで私の個人的な、漠然とした印象ではありいますが……。


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